【第732回】 仕事をやめても生産的に

日本人の平均寿命は、男性約81.1歳、女性約87.3歳(2017年)である。
ほとんどの人は、生まれて幼児期を過ごし、学校に行き勉強する。学校を出ると仕事に就き、65歳で仕事を辞めて、学校からも仕事の世界からも解放される。とすると、仕事をやめてからお迎えが来るまで約20年〜30年あることになる。

人は往生する前には、誰でもきっと己の人生を振り返るだろうと思う。自分の人生はこれでよかったのか、この人生に満足できたかどうかである。
この己の人生に満足か不満かは、仕事をやめてからお迎えが来るまでのこの20年〜30年で決まると考える。恐らく、幼児期、学生時代、仕事時代によってそれが決まるとは考えない。
何故そのように考えるかというと、自分自身が仕事を離れた今の生活でそう思えるからであるし、また、そうなろうと思って生きているからである。
つまり、仕事をやめてからの生き方が重要であり、その前の幼児期、学生時代、仕事時代はこの仕事をやめてからの生き方のための土台であり、糧であると考えるのである。例えば、卒業した学校がどこだったか、勤めていたところがどこだったかなど、ほとんど関係も関心も無くなってくるものである。

ほとんどの人達は、幼児期は分からないが、学生時代も仕事時代も、勉強することや仕事をすることを次の二つの理由で一生懸命にやったはずである。一つは経済のため、二つ目は世のためという理由である。経済のためとはお金を稼ぐことである。生きていくため、家族を養うために必要なものである。
経済が安定していなければ合気道の稽古にも通えないことになる。
次に世のために働くということである。“世”には会社や会社の家族、地域社会、日本国、世界などという意味がある。働いている内はそのことに気づかないものだが、仕事をやめるとそれが見えてくる。どんなに小さいと思われる仕事もいろいろなモノ、というよりすべてのモノに繋がり、必ず役立っているのである。それは東日本大災害やコロナウィルスの流行の結果でもわかるだろう。
今の若者たちは働く意味や意識を無くしてきているようだが、これを自覚しない所にも問題があると考える。

ただ、世の中の一つの問題は、世の中が効率や生産性を求めていることである。そしてそれに従わなければ取り残されることになる。
だが、仕事をやっている時は、会社、社会、自分に生産的でなければならないと思う。

仕事をやめれば、会社は無関係であるからその生産性は無関係になるが、自分、そして社会に対しては生産的でなければならないと考える。
自分に対して生産的というのは、自分を成長させることである。その為には目標がなければならない。目標の無い成長、発展など無いからである。例えば、合気道で進歩、上達したければ究極の目標である“宇宙との一体化”の目標を持ち、その目標に挑戦しなければならないのである。

次に、社会に対しての生産的というのは、社会のために貢献することである。家族社会、地域社会、国、世界、また、科学界、芸術界、武道界などなどが少しでも発展するよう働くことである。
しかし、この働きはほぼ無報酬である。従って、先述の経済的基盤が出来ていないと難しい。だが、無報酬であるから思うように、他の影響を受けずに好きに働けるのである。誰が何を言おうと、自分が思う通りにできるわけである。会社で言いたい事が言えないのは、お金を貰うからである。

仕事をやめて、社会に対して生産的に生きるためにも目標があればいい。それは人により、その人の状況、環境、考え方などによって違うはずであるが、大事な事は、社会のため、人類のために生産的に生きるという事である。それを自覚し、努力することである。それを使命というのだろう。
使命を果たしたり、それに挑戦したならば、お迎えが来た時、いい人生であったと笑顔で逝けるような気がする。