【第732回】 月の呼吸、潮の満干の呼吸

前々回の『第730回 武技は日月の息と地の息と合わせて生む』で書いたように、天の息と地の息と合わして武技を生むようにしたいと思って精進している。
この息づかいで技と体をつかうのは容易ではないが、少し分かったことがあるので、忘却の彼方に行ってしまう前に書いて置くことにする。

先ず分かった事は、大先生が言われる「天の呼吸は日月の息であり、天の息と地の息と合わして武技を生むのです。地の呼吸は潮の満干で、満干は天地の呼吸の交流によって息をするのであります。天の呼吸により地も呼吸するのであります。(『武産合気』P.76)」でやらなければ技が生まれないということである。従って、この教えをよくよく理解し、技で試し、身に付けなければならないということである。

もう一つ分かった事は、大先生の素晴らしさ、偉大さの再認識である。武技を生み出す息を、天地の呼吸、つまり天の呼吸の日月の息、地の呼吸の潮の満干との交流でつかわなければならないと言われているわけであるが、この条理を発見され、その条理を我々後進に残されたことである。
そしてこのように天地や宇宙との交流に合気する合気道をつくられたことである。
我々凡人にできる事ではない。

我々凡人は、この大先生の教えの息づかいで技をつかわなければならないわけだが、この教えを理解するのさえ難しいようである。大先生が見つけて下さったものを、見つけ、身につけることは、大先生のこの条理・法則を見つけられたご苦労に比べれば万分の一ほどであろう。それを怠るのは大先生にも申し訳ないから、何とか身に付けるようにしなければならない。

さて、天地の呼吸の教えでこれまで分かったことを書いてみる。
先ず、天の呼吸の日月の息である。
天の呼吸は吐く息であるから、日の息も月の息も吐くことになる。日の息は天から地に吐きながら下ろすから問題はないが、問題は引き続き吐く息の月の息である。これは難しいが重要なのである。勿論、日の息も重要である。

月の息は、日の息で地に下ろした息を、他方の足の踵から爪先に移すと腹が締まるので、腹が締まったら、息を引き続き吐きながら腹の対照にある腰を緩めると息が入って腹に息と気が満ち、気と力が自然と上がってくる。これが月の息であると感得する。

そこでこの腹から上がってくる息と気に合わせて息を引く(吸う)と、腹が玉のように膨れる。恰も潮が満ちる感じである。これが潮満の玉であると感じる。
この潮満の玉から引く息を更に上げ、胸で息を引き続けると、今度は胸が玉のように膨れる。そして息は引いているのに、胸や手先や体から気と力が発散される。恰も潮が引いていく感じである。潮干の玉である。

もう一つ気がついたことは、右図のように、日の息と月の息、月の息と潮満の玉、潮満の玉と潮干の玉、潮干の玉と日の息が一連で結び、そして陰陽十字で働かないと技が生まれないという事である。

これを大先生は、「息陰陽水火の結びである」、そして「合気道は、地の呼吸と天の呼吸を頂いてこのイキによって、つまり陰陽をこしらえ、陰陽と陰陽とを組んで・・・技を生み出してゆく。」と言われているはずである。

尚、合気道の精進のためには、イメージの力も要るようだ。日の息、月の息、潮満の玉、潮干の玉などのイメージが持てなければ、技に?げることは出来ないからである。
難しいからと言って天地の呼吸を避けて通ることはできない。失敗をし、反省をし、改善しながら身に付けていくほかないない。技をつかいながら、これが日の息か、月の息か、潮満の玉か、潮干の玉か等と感じる事が出来るように稽古を続けることである。
これを感じる事ができるようになれば、合気道の素晴らしさ、奥深さが再認識できるはずである。