【第731回】 高齢者の体の問題

街を歩いていると多くの高齢者が目につく。退職して働いていないだろうから時間はあるし、恐らく経済的な余裕もあるだろう。勿論、経済的な余裕のない方は一目瞭然であるが、ここでの高齢者と別とする。

最近、気になる事がある。街を歩いている高齢者が少しずつ満足に歩けなくなっているように見える事であり、そしてそのような高齢者が増えている事である。
その典型的なものは、地に下ろした足が落ちたままで地を蹴らずに、足底を地につけたまま歩いていることである。若い人との歩き方の最大の違いがここにあると見る。若い人は踵から地に下ろし、爪先で地を蹴るように足を上に上げて歩くが、高齢になればなるほどそれが出来なくなり、べた足になってしまうのである。合気道的に見れば、天地の動きがなく、水平だけで移動しているわけである。これでは思うように進めないし、一寸したものにつまずいてしまう事になる。

しかし、これを直すのは難しいだろう。何故なら、ご本人は、多少は不便と思っても、それに気づいていないだろうし、年にかこつけて直す意思もないようだからである。
もう一つの問題は、若い人の多くも段々と正常に歩けなくなっていることである。結構多くの若い人、とりわけ女性の足首が曲がっているようで、足がまともに地につかないので、近い内に歩けなくなろうと思ってしまう。このような若い人たちが年を取れば、更なる高齢者の体の問題になっていくはずである。

高齢になれば体が弱くなったり、正常には歩けなくなったりするのはある程度仕方がないだろうが、年を取ってもできるだけ長く、正常な状態で過ごして頂きたいものである。
そのためには若い内から、体に正常に、無理なく働いてもらうようにしなければならないと思う。年を取って慌てても仕方がないということである。

体の正常なつかい方や無理のないつかい方は、学校や家庭では教えてくれない。体に力をつけるとか壊した体を直すということは教えてくれたり、やってくれる。お金になるからである。
私が知っている限りでは、体の正常なつかい方や無理のないつかい方を教えてくれるのは合気道であると思う。この合気道の教えに従って体をつかって行けば、体を無理なくつかい、正常に機能させることができるはずである。
例えば、人の体の働きは宇宙の営みと同じであるという前提の下、宇宙の営み、宇宙の法則に合してつかえばいいし、それに反すれば体を壊す、機能しないのである。例えば、体は合気道の技づかいの法則に従うのである、例えば、陰陽十字でつかうことである。足は右左、規則正しく交互に陰陽で進め、足も腰も十字に返し、ひねらない事等である。

また、合気道の教えのように、体は表(背・腰側)をつかわなければならない。年を取ってくると、段々と体の裏(胸・腹側)をつかうようになり、猫背になり、腰が曲がることになる。勿論、手も足も表をつかわなければならない。

先述の下ろした足を地に着けたまま、次の足を進めるべた足であるが、これは合気道の教えの内、天の呼吸に合わせて体をつかっていないという、宇宙の法則違反によることになる。
足を進めるのは横の動きになるが、横が働くためには、先ず、天の息の吐く息の“日の息”で体と足を踵から地に落し、そして更に“月の息”を吐きながら体重を踵から爪先に移動すると、地からの反発力で体が上に上がるのである。

息のつかい方が重要なのである。取り分け年を取ってくると体が段々動かなくなってくるわけだが、少しでもその減退を抑えるためにも、正しい息づかいをしなければならないと思う。正しいとは理に叶うということである。宇宙の営み、宇宙の法則と合致することである。
呼吸は体を動かしたり、技を掛ける場合だけでなく、歩く時も大事である。
一般的にもそうであるが、体が固くなった高齢者の息づかいは理に反しているように見える。つまり、息を吸うべきところを吐いているのである。
テレビなどで美容体操やストレッチ体操を見ていると、多くが息を吐いて体や部位を伸ばそうとしている。息を吐くと体は固くなり、強靭にはなるが、柔軟にはならないものである。柔軟にするためには、まず息を吸わなければならないはずである。最も効果的なのは、一寸吐いて、そして思い切り吸って、最後に思い切って吐くといい。三段息づかいである。
息を吐いたり吸うのは主に腹と胸である。所謂、腹式呼吸と胸式呼吸である。この両方の呼吸を最大限につかわせて貰わなければならない。鍛錬を続けなければ、年を取ってくると共にこの機能は衰え、どんどん浅い呼吸になってくるものだ。
しかし、この息づかいも容易ではないだろう。合気道の稽古をしている人たちでも中々思うように出来ないようだからである。

高齢者になったら、体の問題が出てくるはずだから、それを覚悟するか、また、それが嫌ならそうなる以前から対応策を施しておかなければならない。
高齢者になっても、パリのシャンゼリゼを正常に歩けるようにしたいものである。