【第731回】 魄の稽古からの脱出のために

80歳の一人前の大人に近づいてくると、後輩や後進のことが気になってくる。
80歳までは半人前の鼻たれ小僧であり、多少の事は鼻たれ小僧に免じて貰っていたが、80歳になったら大人になろうと誓っているのである。勿論、大人とはどういうものなのかは十分に分かっていないから、これからつくっていかなければならない。

80歳の大人になったなら、それまでと違った稽古をしたいと思うが、その一つが後輩や後進のためにもなる稽古をしようということである。
これまでは自分のために稽古をすればいいと思ってやってきたわけで、他人のことなどあまり気にかけてこなかった。
これまで半世紀以上稽古をしてきて得た技や知識を伝え、残していくことである。

そこで一番気になっていることから始めたいと思う。それは、長年稽古をし、高段者になった合気道の稽古人のほとんどが、突然、合気道の稽古をやめてしまうことである。まだ、元気で日常生活が出来るし、合気道を続ける元気もあると思われる古い稽古人が、死んでもいないのに道場から消えていくのは寂しいかぎりである。
しかし、この合気道早期引退には原因があるように思える。その原因を明確にし、その原因の問題を解決出来れば早期引退は無くならないまでも大幅に減少し、高齢で高段の稽古人が道場に残り、若い後輩や後進に刺激を与え、そして導いてくれるようになると希望しているところである。そしてこれが後進に残す一番大切なことであると考えている。

まず、何故、高段者で実力がある人が早期引退していくかということである。
それは一言で云えば、魄の稽古から脱することができなかったことであると考える。
合気道の基本の形を覚え、そして大体の相手を投げることができるようになってはいるが、体の大きい相手や体力がある相手を投げたり抑えることができないことが分かり、そして自分の力の限界がわかり、これ以上稽古をやっても駄目だろうと思うのだろう。特に年を取ってくると体力も腕力も無くなってくるので、年配になると早期引退が多くなることになる。

これは合気道の宿命である。つまり、誰もが通る道筋なのである。
これは避けがたい現実であるから仕方がないが、問題はこれを解決する方法を先輩たちが教えてくれなかったことである。こういう問題にぶち当たるから、そうしたらこうすればいいし、こうしなければならないと教えてくれなかったのである。

それでは早期引退はどうしようもないではないかというとそうではない。何故ならば、大先生がその問題と解決法を教えられているのである。それがどのような教えであったかは、私の論文で紹介しているので、詳細は省くが、私の考えをここに簡単にまとめてみることにする。

先ず、皆がやって来た魄の稽古は重要である。これを確信することである。体力や腕力の魄の力はあればあるほどいい。魄の力を卑下すること等ないということである。大先生も「わしは力持ちだった」と自慢されていたものだし、内弟子をスカウトするにも力のある者、体力のある者を選んでおられていたものである。

次に、ある時期からこれまでの魄力に頼る魄の稽古から、魄に頼らない稽古に変えなければならないのである。これは容易ではない。言ってみれば、これまでと異質な稽古、真逆な稽古をすることになるのである。これまでの勢いや腕力をつかわずに、その代りになる別なモノをつかって技をかけるようにするのである。それは、先ずは息であり、宇宙の営みの力(法則)である。

イクムスビの息、イーで吐き、クーで吸い、ムーで吐いて技をつかうのである。更にこのイクムスビの息づかいをするためには、陰陽十字という宇宙の法則に則って技と体をつかわなければならない。
また、このイクムスビの息づかいと陰陽十字をつかうためには、手先と腰腹をしっかり結び、腰腹で手をつかうようにしなければならないのである。
そして、手先と腰腹をしっかり結び、腰腹で手をつかうようにできるためには、肩が貫けていなければならないのである。
容易な事ではないが、これをすればそれまでの魄の力に頼った稽古から抜け出すことが出来き、またそのためには必須であると考える。

何故これが分かったかと言うと、大先生と有川定輝先生のお蔭である。大先生の技づかいのイメージからと大先生の『武産合気』『合気神髄』にもある教えである。
有川先生からは魄の稽古からの脱出を稽古時間と稽古の時間外で教えて頂いた。先生は一切ご説明をされなかったから、無言の教えということになるが、今にして思えば素晴らしい教えであった。残念ながら先生がご健在な内はそれが分からなかった。有川先生の教えが無かったならば、恐らく私も早期引退していたはずなので、先生には心から感謝している次第なのである。

晩年の有川先生の技は魄に頼らないもので、相手をくっつけてしまうモノであったが、技は強烈であり、いつでも相手を殲滅できるぞという迫力があった。道場や講習会などで見ていて、何時も緊張していたが、剛柔、優しさと怖さを兼ね備え、無駄な動きもなく、美しく、力強いものであった。この先生のイメージで、この先生のイメージに近づくべく稽古をしているのである。
イメージは己の技の目標になるはずである。目標がなくて稽古をしても決して上手くならないはずである。いい先生や先輩の技や動きや態勢のイメージを見つけ、それに近づくように稽古をしていけばいいだろう。

ここまでは息と宇宙の法則をつかう稽古であるが、まだ半分魄の稽古である。
勿論、ここでの魄の稽古も大切である。体や力が更に出来、更に魄力がつくからである。間違いなく以前よりも力がついているはずである。
そしてこの魄力が土台になり、その上に魂がくることにするわけである。
ここから魂の学びの稽古、真の合気道の修業に入るわけである。本当の合気道の修業が始まるわけである。ここに来れば合気道の本当の面白さ、素晴らしさが分かり、最早、合気道を止められなくなるはずである。
因みに、大先生がお話になった道話、お書きになった『武産合気』『合気神髄』はこの段階にならないとチンプンカンプンのはずである。換言すると、『武産合気』『合気神髄』が分かるようになれば、魂の学びの稽古の段階、そして見えない世界の幽界に入って稽古をしていることになるわけである。

一人でも多く、魄の稽古から脱出して、早期引退をせずに、最後まで合気道の稽古の修行を続けて欲しいと願っている次第である。