【第730回】 悟りたいものだ

80歳まで後一年となった。80歳になったら一人前の大人になりたいと思っているのだが、この一年で“はなったれ小僧”から一人前の大人になれるか自信はないが、努力はするつもりである。
勿論、半世紀以上続けている合気道も、はなったれ小僧の合気道から、一人前の合気道の次元に入りたいと思っている。

合気道に関しては、はなったれ小僧の合気道から、一人前の合気道に変えることは出来るだろうと思っている。
一人前の合気道とは真の合気道に入って、その次元の修行をすることだと思っている。これまでの魄の合気道から魂の学びの次元の合気道である。
また、合気道はこれまでの“稽古”ではなく、“修業”になることである。80歳になれば、これが出来ると思う。何故なら、80歳前からこの準備に入り、その次元で技の稽古をし、そのための修行をしているからである。
この件に関しては、「第727回 80歳で一人前の大人になるためには」で書いた。

「第727回 80歳で一人前の大人になるためには」で予告したように、ここで、人としての一人前の大人になることについて研究してみたいと思う。まず、一人前の大人の定義をしなければならない。
一人前の大人とは、これまで、そしてこれからの避けて通れない、生きていくための課題を認識し、そしてその解明に向けて努力していくことであろうと考える。それ以外の事は、些細なことでマイナーになるはずである。
これは人によって違うはずであるから、万人に納得いく定義はないはずである。従って、自分自身の定義ということになる。また、他人から教えて貰うモノでもない。そしてその定義は、簡潔であるのがいいと思う。簡潔であれば、それを自分がよく分かっていることになる。複雑難解なのは自分がよく分かっていないという事、大人でないということになる。

己の一人前の大人の定義は、「悟ること」である。
しかし、有難いことに、合気道のお蔭で80歳以前に悟りの境地に入ることが出来たと思っている。
その理由は、若いころからいつも自分は何者なのか、何処から来て、何処へ行くのかを考えていた。これを合気道のお蔭で納得できるようになっていたのである。

合気道では、「悟るということは、自分にあるので、自分の腹中をよく眺め、自分というものはどこから出てきたものであるか、また自分は何事をなすべきか、よく自分を知るということが自分に課せられた天の使命であります」(合気神髄P.31)と教えているのである。自分自身で悟れ。自分を眺めれば、どこから来て、何処へ行くのか、何を成すべきなのかが分かるというのである。そしてこのなすべき事が天から課せられた事であり、これを天の使命というのである。これが分かり、出来ればいつお迎えが来ても慌てたり、後悔することはないはずである。勿論、まだ経験がないので、保証はできない。

これがよく分かったということであり、悟ったわけである。
しかし悟りには頭で分かっただけでなく、それを実践しなければ悟りにならないだろう。
自分に課せられた天の使命の実践とその使命に負けない挑戦である。
これが80歳からの一人前の大人の仕事であると考えている。
悟りたいものだ。