【第730回】 技は掛ける前と後も大事

合気道は技を掛け合って錬磨するが、初心者はどうしても相手を投げたり押さえることに走ってしまう。そして投げ技は投げっぱなし、抑え技も最後まできちんとやらずに手を抜いてしまうのである。

武道であるから、基本的な技の考え方は、相手を制し、再び攻撃する事ができないようにすることである。只、投げっぱなしで相手に受けを取らせてしまえば、また攻撃してくることになり、技を掛ける意味がなくなってしまうことになる。勿論、相手が受けを取れるように投げる稽古も必要である。また、演武会などではこうしないと格好がつかないから投げっぱなしも必要である。しかし、稽古では投げっぱなしだけでは駄目だという事である。投げても、いつでも相手を抑え込むことができるような心と体の用意が必要なのである。

その為には、相手を投げでも、相手の手などの一部を接したまま、抑え固めてしまう練習も必要になる。そのいい例は小手返しであろう。相手の小手を返して相手を投げるが、掴んだ手を相手の手から離さずに手と足をつかって相手をうつ伏せにひっくり返して、坐っての二教の抑えや、立っての膝で極めるのである。

この小手返しの場合、相手は跳び受身で受けを取るか、腰から床に仰向けに受けを取るが、取り分け、腰から床に仰向けに受けを取る相手をうつ伏せに導くのは容易ではないだろう。ほとんどの稽古人はここから相手をうつ伏せにして抑えることを諦めてしまうものである。
この出来ないことは問題であるのだが、更に問題なのは、その技の稽古中に諦めてしまって、出来るように挑戦しようとしないことと、その稽古時間が終わった後の自主稽古でも出来るように挑戦しない事である。
我々の若い頃は、その時間に出来なかった事を稽古が終わった後の自主稽古で、仲間同士で研究したものだ。ああでもない、こうでもないとやり合うわけである。その内、先輩やそれが出来る人が来て教えてくれたりした。その内、仲間の内の誰かが出来るようになる。そうなると他の連中も負けじと頑張り、次々と出来るようになっていったものである。
出来ない事は不味いことであり、出来るようにしなければならない。

これは技を掛けた後の処理の例であるが、技を掛ける前にもやるべき大事な事がある。
技を極める前で大事な例としては、掴ませた手の出し方やつかい方である。
初心者たちは手を安易に出して動かしているが、相手がしっかり掴めばそう簡単には動かせないし、技をかけられないものである。手を出すにもその出し方があるのである。例えば、手先が相手の中心線上に向かわなければならないし、腹と結んで腹で手をつかわなければならない等である。
掴ませた手は、技の種類によって“ほどくもの”と“くっつけるもの”がある。
掴ませた手を解く技には片手取りからの入身投げや小手返しなどがあるが、
掴ませた手を解くのは法則をつかわないと難しいはずである。ただ無暗に引っ張ったりしても、よほど力がないと解くのは難しいものである。
掴ませた手を解くためには、前述のように、掴ませた手とそしてその反対側の手を同時に交差させて十字につかわなければならない。
これも練習しなければ出来ないから練習すればいい。それほど難しいものではないから誰でもできるはずである。
重複するが、この“手解き”と言う言葉は、初歩を教えることで、最初の問題の解決法という意味であるから、合気道でもこの“手解き”は、相手に掴まれた手を解くテクニックであるが、最初の教え、そして技をつかう前の大事という事になるわけである。

次に掴ませた相手の手をくっつけてつかうものがある。転換法、呼吸法、四方投げ、一教から四教等である。初めから最後まで相手の手とくっつき、決して離れないようにすることである。この重要性は魄(体)を土台にして、その上に魂を表し、魂で魄を導くようになると分かってくる。

技を極めた後で大事な例としては、先述の小手返しで相手を仰向けに返し、坐ってまたは立って抑えることの他に、一教から三教の抑え(極め)、坐技呼吸法の抑え、呼吸投げで投げた後の最後の姿勢と残心などがある。抑えた相手が起き上がったり、手を返してくるようでは不完全ということになる。
一教や坐技呼吸法で抑える場合は、相手の床にある腕と脇腹の角度が90度以上の鈍角になっていなければならないし、一教から三教の抑えでは抑える己の両腕が平行になり、手の平が上を向き、脇を締めて、手を動かさずに腰腹で極めなければならない。
そして最後に大事な例として、投げた後や抑えた後の足捌きである。小手返しや一教裏、入身投げなどその典型的なものであるが、その足捌きが正しく(法則通り)つかわないと技は上手く収まらない。このためにも技は投げっぱなし極めっぱなしにせずに、この足捌きをつかって最後の収めまでやらなければならない。

いずれにしても、このように技を掛ける前と後がしっかりしていなければ、技は効かないし、合気道の技と別物になってしまう。相手を投げたり極めたりするだけでなく、その前後を大事にしなければならないのである。