【第728回】 魂は科学されて出てくるもの <その2>

前回は、諸手手取呼吸法で魄の力から脱出するために、有川定輝先生の教えに従ったこと、大先生の教えに従ったこと、最後に、“心“と”念“で技と体をつかうようにしたと書いた。そして“心“と”念“は、まだ人間個人の領域のものなので力弱しであり、更なる偉大な次元に進まなければならない、そしてそれが”魂“であると書いた。

まず何故、魂なのかである。大先生は、「合気は魄を排するのではなく土台として、魂の世界にふりかえるのである。魄の世界を魂の世界にふりかえるのである。魄が下になり、魂が上、表になる」と言われているからである。魄の力を土台にして、その上に魂を出し、その魂で技を生み出さなければならないということである。それまで培ってきた魄の力を魂が制御、誘導するわけであるから、魂の方が魄より強力という事になるわけである。

次に、魂とはどうようなものなのかということである。これを大先生は分かり易く「に属し、流・柔・剛は体に属するというわけである。」「形より離れたる自在の気なる魂、魂によって魄を動かす 神p131」
つまり、「魂」とはであり気であるということである。

ではどうすれば魂は出てくるのかというと、大先生は「自己の魂が、身心によって科学されて出てくるものである。(武産合気 P.81)」と言われているのである。身心を天地の息と営みに則り、法則に従ってつかえば魂が出てくると言われているのである。
また、大先生は、「魂は自分自身で創るのであります」とも言われているが、この事だと思う。
確かにこの教えに従って技をつかうと、これまでと質量ともに違った力が出て来るのである。この魂は心や念から出てくるものとは違い、出すのではなく出てくるものである。受けの相手には抵抗心や対抗心を起こさせない、それでいて強力な力をもっていると感じさせるような摩訶不思議なものである。諸手取呼吸法はこの身心を科学されて出てくる魂でやらなければならないだろう。

しかし残念ながら、この魂が最終的なものではない。何故ならば、この魂は自己の魂であるからである。この自己の魂よりも偉大な、魂、自己以外の魂、例えば、宇宙の魂があるはずだからである。自己の魂がある程度会得できてくれば、次に宇宙の魂の次元に入らなければならないと考えている。