【第724回】 合気道の技と剣

合気道は宇宙の営みを形にした武技を練り合って精進していくが、この合気道は従来の剣、槍、体術が基になっていると言われる。そして、従来の剣、槍、体術を宇宙の和合の理によって技を生み、そして合気道をつくられたということで、従来の武道とは大いに異なると云うよりは異質であると次の様に教えられている。
「合気道は従来の剣、槍、体術を宇宙の和合の理により悟ったものであるが、合気道は人に勝つためではなく、争いに勝ためでもなく、戦わずして勝つためでもない。自己の使命に与えられたる宇宙の使命に打ち勝つことである。宇宙の運化とともに進むことである。この善、正しさを、よく知らなければいけない。ゆえに、合気道を体得したならば、宇宙の条理が分かり、また、自己をよく知り、分かってくる。(神髄 P.109)」

このように合気道は従来の剣、槍、体術と関係があることになる。つまり、今の合気道は過去の剣、槍、体術との繋がりがなければならないという事である。過去の武人が合気道家の剣、槍、体術を見ても納得して貰えるような技でなければならないと思う。また、未来の武人達も納得するものでなければならないと思う。しかし、合気道の剣、槍、体術は、所謂、中古の覇道的武道であってはならないのである。過ってのように相手に勝つため、争いに勝つため、戦いに勝つためではなく、己の宇宙から与えられた使命に打ち勝つためのモノなのである。その為には、宇宙の条理が分からないとこの合気道は体得出来ないのである。勿論、合気道は武道であるから、相手に容易に殲滅されるようでは駄目である。これはジレンマであるが、そう難しくはない問題である。合気道を相手に勝つためにやるのではなく、やるべき事をやることによって、その結果、強くなればいいのである。稽古のプロセスが正しく、それを一生懸命にやれば、必ず上手くも強くもなるものである。勿論、どれだけ上手く、強くなるかは努力と才能、そして運に掛かっている。

それでは合気道の剣はどのようにつかえばいいのか研究してみたいと思う。
まず、合気道の基本は体術であるという事である。徒手が基本であるが、剣や槍をつかって稽古をすることもある。しかし、それは剣や槍を上手くつかう事が主の目的ではなく、体をつくり、体がより機能することが大事なのである。しかしながら、合気道の徒手に剣や槍を持ては、剣としても槍としてもつかえるということにならなければならないということになる。

例えば、剣の素振りである。合気道の剣の素振りの基は正面打ち一教だと思う。この正面打ち一教の理合いで、体と息をつかうのである。陰陽十字、阿吽の呼吸等であるが、もう少し詳しく説明してみる。

  1. 剣を構えるが、天の浮橋に立たなければならない。天にも地にも、相手にも拘らず、隔たらない姿勢と心持である。
  2. 天の気を天の呼吸で息を丸く吐きながら足(後ろの左足の方が容易)に下ろす
  3. 左足底を反時計回りに回転し、右側を時計回りに回転しながら足と体を進め、息を引きながら重心を左から右に移動して右足を地に着け、剣を振り上げ、
  4. 息を引き続き引きながらの地の呼吸で、振り上げた剣と体を腹を締めて(赤玉・潮満の玉)で左足に落す。
  5. また、息を更に引いて(潮干の玉)重心を左から右に移動しながら剣を振り上げて、息を丸く吐く天の呼吸で切り下ろす。剣先に体重がのり、予想以上の威力が出るものである。
つまり、足と重心の陰陽十字、天の気、天の呼吸、地の呼吸、潮満の玉、潮干の玉の条理でやるのが合気道の剣ということになるわけである。
勿論、3や4で切り下ろすこともできる。
合気道は宇宙の条理に則ったものであるから、宇宙の条理でやらない剣は合気道とは関係のない剣づかいということになる。

宇宙の条理の合気剣をつかうためには、合気道の極意技である正面打ち一教を研究するのがいいと考える。要は、正面打ち一教が十分に宇宙の条理に則ってつかえなければ、合気の剣もつかえないということである。