【第723回】 高御産巣日神と神産巣日神の摩擦作用

魄から魂の次元の稽古に入ろうとすると、これまで以上に大先生の教えに従う稽古をしなければならないことを痛感する。
これまで陰陽十字、イクムスビの息づかいなどで強力な力を出し、そして使って相手を倒し押さえてきたが、力のある相手に頑張られるとまだまだ力不足を感じる。この力を土台にして新たな力を身につけなければならないということである。

大先生は武産合気で、「合気道は宇宙のいとなみが自己のうちにあるのを観得するのが真の合気道なのであります。タカアマハラとは全大宇宙のことであります。宇宙の動きは、高御産巣日神、神産巣日神の右に舞い昇り左に舞い降りるみ振舞の摩擦作用の行為により日月星辰の現われがここにまた存し、宇宙全部の生命は整って来る。そしてすべての緩急が現われているのです。」(「武産合気」P.48)と教えられている。
最近気づいたことは、大先生が言われている教えを100%信じること、その教えの一語一語を大事にすることが絶対に必要であるという事である。

この場合、最初は、「合気道は宇宙のいとなみが自己のうちにあるのを観得するのが真の合気道なのであります」であるが、ここには二つの重要なポイントがある。一つは、大先生が言われている合気道は“真の合気道”であり、“真の合気道”を修練しなければならないということである。二つ目は、“真の合気道は「宇宙のいとなみが自己のうちにあるのを観得する」ことであるということである。

“真の合気道”とは魂の学びの合気道であり、力や体力に頼る魄の合気道と異次元にある合気道ということになる。勿論、魄の合気道が悪いというのではないどころか、非常に重要なのである。何故なら、この魄の合気道によって、魂の合気道、つまり“真の合気道”の魄の土台を造らなければならないからである。その土台がしっかりした稽古を力一杯しなければ、“真の合気道”には移れないと考えている。

次に、「タカアマハラとは全大宇宙のことであります。宇宙の動きは、高御産巣日神、神産巣日神の右に舞い昇り左に舞い降りるみ振舞の摩擦作用の行為により日月星辰の現われがここにまた存し、宇宙全部の生命は整って来る。」である。
実は、この教えによって、今は多少強い力でしっかり掴ませても、相手の力を抜き、魄力に頼らないで相手を導き倒すことが出来るようになったのである。この教えは非常に具体的で解り易く、そして効果が即現れる教えなのである。
この教えを解釈すると、「タカアマハラとは全大宇宙のことであります」はそのように教えられているので、言葉の上では何の問題もないはずである。しかし、何故、ここに「タカアマハラとは全大宇宙のことであります」とわざわざ言われたかということが重要なのであると思う。大先生は意味のないことは言われないはずだから、その意味を考えるべきだろう。私の考えでは、真の合気道とは宇宙規模であるのだという教えなのだと思う。そして技も体も宇宙規模で、しかも宇宙の動きでつかわなければならないということなのだと思う。それを、「高御産巣日神、神産巣日神の右に舞い昇り左に舞い降りるみ振舞の摩擦作用の行為」であると言われているのである。
これを技でつかうと、気を地の足の下に左まわりに舞い下ろし、重心を移動しながら他方の手と体を右まわりに舞い昇らせ、更に重心を他方に移動しながら、左まわりに舞い降おしと繰り返す。この左まわりに舞い下りる螺旋と右まわりに舞い昇る螺旋が作用して技を生むということである。これを摩擦連行作用ともいう。そして「すべての緩急が現われているのです。」と技の緩急が産まれるといわれるのである。
この左に舞い降りるを実感したいなら、地に着いた足底を気で左に回せば体はどんどん地に降り、体は安定する。もしこれを右に回せば体は浮くはずである。また、手を右に螺旋で回せば、手と体と気は舞い上がっていくはずである。
尚、諸手取呼吸法や正面打ち一教はこの高御産巣日神、神産巣日神の摩擦作用の行為をつかわせて貰わないと上手くいかないはずである。

それでは何故、この摩擦行為によって摩訶不思議な力が出るのかということになる。それを大先生はここで、「この摩擦作用の行為により日月星辰の現われがここにまた存し、宇宙全部の生命は整って来る。」と言われているのである。
これは、高御産巣日神、神産巣日神の摩擦作用行為によって宇宙の太陽や月や星が造られ、そしてそれらすべてに生命が吹き込まれ整ってくるということだろう。つまり、この摩擦作用の行為によって、宇宙の万有万物がつくられ、バランスが取れ、そして調整・整備されるということであり、そしてこれが宇宙の意志ということであると思う。
従って、高御産巣日神、神産巣日神の摩擦作用によって技と体をつかうことは、宇宙の意志に則っていることであり、宇宙がサポートしてくれるので、超人的な力が出ることになるのだろうと考えている。