【第722回】 高齢者が合気道を続けるために

長年合気道を稽古していた稽古人が、年を取ってきてやめていくのは寂しい。体は日常生活には支障がなく働いているし、頭もしっかりし、口も達者なのに、膝が痛いとか腰が痛いとか、また、息切れがする、力が出ないなどの理由で合気道を離れているようである。
合気道の修業には限りがないはずなので、私から見れば、これは合気道の途中引退ということになる。大先生や有川定輝先生のように最後の最後まで修業を続けたいものである。

合気道を途中引退するには原因があると見る。その原因は次の様に大別できるだろう。一つは、肉体的な原因である。例えば、最も目につくのは、膝と腰を痛めることである。これらを痛める原因は、体のつかい方にある。宇宙の法則に違反したつかい方をする事にあるのである。例えば、体の表を使わず裏を使っていた事。腰腹を陰陽十字に使わず、ひねって使っていたこと等である。
もう一つ重要な原因として息づかいがある。大先生の教えの息づかいに反しているのである。息を引く(吸う)ところを吐いているのである。これは技が効かないだけでなく、体によくない。これが二つ目である。

三つ目は、精神的面の原因である。心の問題ということになる。合気道とは何か、合気道の稽古や修業の目標は何かをどれだけ深く理解し、持っているかということである。只、体を動かすのは健康にいいようだからなどという理由で稽古をやっていたとしたら、途中引退の瞬間を常に引きずっているわけだから、一寸したことで引退することになるわけである。

途中引退に陥らない条件は上記の一般的な肉体的と精神的な原因に陥らないようにすることが大事であるがまだある。
四つ目は、合気道の稽古から合気道の修業に入らなければならないことである。稽古というのは、道場などで一定の時間、指導者に教えて貰ったり、技を覚えたり、技を錬磨することである。この時間を過ぎれば日常生活にもどり、合気道の事はほぼ忘却の彼方ということになるわけである。だから、一寸した事で、忘却の彼方に行きっぱなしで合気道に戻って来ず、途中引退に陥るわけである。
それに対し修業は、一日中、どこでもいつでも精進する努力をすることであると考える。
また、修業は明確な目標に向かって、一つ一つの課題を見つけ、そして解決していく積み重ねであり、これでいいという限りがないことでもある。それ故、次にどんな課題が掛けられ、解決できるかが楽しみで、途中引退などそう簡単には出来ないのである。

高齢者が合気道を続けるためにどうすればいいのかを簡単にまとめてみると、技と体を法則に則ってつかうこと、つまり、理合いで技と体をつかうことである。自分の体が如何に摩訶不思議につくられ、そして機能しているかに気づけば、ますます稽古にのめり込んでいくはずである。

次にそれまでの魄の力で技を掛けていたのをその魄の力を土台として、息で技を掛けるようにすればいいと考える。イクムスビや阿吽の呼吸で技と体をつかうようにするのである。特に引く息(吸う息)を上手くつかうようにすればいい。息ならば、死ぬまでつかっているのだから、いつまでも技の錬磨の稽古につかえるはずである。それにこの息づかいによって肺や心臓などの器官が丈夫になるし、血流もよくなるはずだから、年を取ってもますます元気になり、途中引退などなくなるはずである。

何時の日か、80,90歳の高齢者が大勢元気で一緒に稽古をやり、若い稽古人たちにも刺激を与えるようになりたいものと夢みているところである。