【第722回】 体をもどす

合気道の稽古は、宇宙との一体化とか地上天国建設への生成化育を目指してやるものであるが、もっと根元的な理由でもやっているのである。特に初心者が入門する動機はこの理由によるはずである。今回はこの合気道をやる根源的な理由を再考、再確認してみたいと思う。

その根元的な合気道を稽古する理由とは何かというと、己の体を本来の体にもどすことであると考える。
現代人はますます便利で楽な環境の中に生きている。電車や車、エレベーターやエスカレーターに乗り、冷暖房が最適に調整された快適な事務所や部屋に居り、また、寒暖に合った衣類を着用している。
この環境のお蔭で、雨が降ろうが、寒かろうが、暑かろうが快適に生活しているのである。

しかしながら、人は快適な環境にいるだけでは満足できないようである。そして己を快適な環境から連れ出し、わざと不快的な環境に入れるのである。
最適な環境の極端な例を考えれば、冷暖房が完備して部屋で、何もしないでベッドに居て、食事や用がある時はボタンを押す生活だろう。やるべき用事もなく、手足も体も使わずに、精々ボタンを押すのが最大の仕事なのである。
一般的に人はここまで極端な快適な環境にないが、これに似たような生活をしているのではないだろうか。少なくともこの方向に向かっていることは確かである。

だが、この快適な環境にある多くの人は、その環境から抜け出し、別な環境、快適ではない環境にちょっと入りたくなるのである。そして合気道でもやってみようかとなるわけである。
快適な環境で暮らしていると、体を思い切り動かしたくなるはずである。体は思うように動きたくてむずむずしているはずである。
ご苦労にも、わざわざ動き回らなくてもいいのを動き回るのは、人間の本能であろう。動き回るのが本能であると思うのは、例えば、動かない方が楽だと思うのに、まだ歩けない幼児だって手足をばたつかせて動くし、また、人は縄でがんじがらめに縛られたら動けないと苦痛に思うこと等である。
勿論、動き回る本能を出させるのは別に合気道に限らず、他の武道やスポーツ、ダンスなどでもできることである。

また、人は人工的に調整されている培養器から抜け出して、厳しい自然と触れ合いたいと思うものである。
合気道の稽古場は培養器ではないし、それと比べれば結構厳しい環境である。夏は暑いし、冬は寒い。今は随分快適な環境になったが、過っては、夏の直射日光で畳が熱くてじっと立ってもいられなかったし、冬の朝稽古では、畳が氷のように冷たくて大生したほどだった。
人が旅行、探検やスポーツをするのは、厳しい環境を求め、そして己の体をもどしたいと思うからではないかと思っている。

一般論はさておき、何故、体をもどすために合気道をするのかを考えてみたいと思う。合気道では、体を本来の姿と機能にもどすための次のような稽古をしていると思う。

普段の日常生活は便利で楽になり、体はなまっていくから、体をつかって元にもどす必要がある。これを合気道がやっている。合気道のもう一つの面である。