【第722回】 六根で魂が花咲く

魂の研究、魂の挑戦に入っている。何とか少しでも前進したいものであるが、魂を捉えるのは容易ではない。魂とはどういうものなのか、魂を会得するためにはどうすればいいのかなどまだまだ暗中模索している。今回もその挑戦である。藁をも掴むという気持ちである。

これまで同様、合気道にとって大事な事及びその解決法は大先生が教えられていると信じているので、大先生のお教えから学ぶ。
先ず、大先生はその為にも、真の合気の道が成立しなければならないと、「霊は肉体を育てあげねばなりません。体はまた精神に従って、すべて精神によって動き、精神にまかせてゆかねばなりません。精神を守るだけの肉体となってはじめて道が成立するのです。」(武産合気 P47)と言われている。
これはこれまでまとめた、魄の体が土台になり、その上・表に精神の魂を出し、この魂の精神で技と体をつかうということである。また、この魄の土台となる体は、魂の精神を十分に働かせ、守るものに鍛えなければならないということである。これは片手取り、諸手取、坐技などでの呼吸法で分かり易いと書いてきた。

これが出来るようになると、真の合気の道に入ることになる。物質科学の世界から精神科学の世界、顕界から幽界の修行に入るわけである。
そこで大先生は、「この世界に接する六根の働きを常に浄め磨いておかねばなりません。ここに魂の花は開き、魂の実はむすぶのです。そして顕幽神三界の花を開き実を結び・・」(武産合気 P.47)」と言われるのである。
先ずは、顕界の修行の時から、六根の働きがよくなるように浄め磨かなければならないし、またその後の幽界、神界に於いても引き続き、つまり常に浄め磨いていかなければならないということである。
そうすれば心が磨かれ、六根の働きが自在になり、そして魂の道に繋がっていくと、「心を磨いて、本当に六根の働きをば融通の変えやすいように、つまり魂の道を明らかにしておいたらよい」言われているのである。
更に、「そうすると六根は光となって、表にあらわれてくる。六根が光を放ってくるというと、やることがみな魂の比礼振りということになってくる。」(合気神髄 P.45)と言われているのである。

六根が光となって、表にあらわれ、そして六根が光を放ってくるようにすれば、魂の比礼振りになるということなのである。魂の比礼振りとは魂の花が咲くということだろう。魂の花が咲く、魂が現れて、働くためには六根を常に浄め磨いていかなければならないということだろう。