【第721回】 自分が感じたものが尊い

「自分が直接感じたものが尊い?
そこからすべての仕事が生まれてくるものでなければならない」


??この言葉は「版画」という用語を日本に普及させたことで知られる版画家・洋画家、そして美術教育運動家であった山本鼎(やまもとかなえ)(1882-1946)の残した有名な一節である。

合気道で技を錬磨しているから、この言葉がよく分かる。このやり方は正しいのか、この体づかいや息づかいはこれでいいのか、間違っていないのかの判断基準はない。しかし、何かそれらの判断基準がなければ先に進めないわけだが、何となくその良し悪しを判断し、先へと進もうとしてきた。
その判断基準こそ「自分の感じ」であったわけであるが、それがこれで確認できたことになる。

この「自分が感じたものの尊さ」は、合気道の修業だけではなく、勉学や仕事や日常生活でも体験するものである。所謂、“閃き”や“天の声”などと同じであると考える。

「自分が感じたものが尊い」理由には幾つかある。一つは、己の性、本能、才能を活かしてくれるからである。山本鼎が、手本を写すことが評価された時代に、子どもの自由な感性を尊重する児童自由画運動を興すことになったのはこの理由によるだろう。二つ目は、己の生死の声を聞くことになるからである。人はいろいろな事を感じるわけであるが、その中には生死に係わるメッセージがあるのである。卑近な自分自身の例だが、以前に、健康に優れず、目まいがしたり、体がふらついていたことがあった。これで己の合気道の修業及び人生は幕をとじるのかと思って行ったところ、塩分を控えたらいいだろうというメッセージを感じたのである。そこでその声に従い、それまで目玉焼きや野菜サラダに振りかけていた塩を止め、加工食品も控え、外食も塩分を控えたものを食べてみたところ、2,3日で体調は以前の健康に戻ったのである。自分の感じたことの尊さを実感し、感謝した次第である。

「自分が感じたものが尊い」わけであるから、自分が感じるようにしなければならない事になる。幼児や小さな子供たちは素直で純粋に感じることができるが、汚れの多い大人は感じるために努力をしなければならない。
それではどうすれば敏感に感じられるようになるのかということになる。それを合気道では、五感を大切にする、五感を浄くしなければならないという。
目、鼻、耳、口、皮膚のカスや濁りを取り去り、清浄にするのである。目や耳を洗い、鼻や口を漱ぎ、水を浴びて皮膚のカスをとり、刺激を与えるのである。これを合気道では禊ぎというのである。合気道の開祖は、毎朝、禊をすることを勧められている。

「自分が感じたものが尊い」ということになると、美しいモノは美しい、悪いコトは悪いと、幼児のように素直に感じて、見たり、聞いたりするようになるはずである。
そうすれば、絵画、音楽、詩、歌、芸能等‥面白く、そして深く鑑賞する事ができるようになるはずである。勿論、合気道の技の錬磨もより面白く、深くなるはずである。