【第719回】 合気道の実行

合気道の稽古は非常に単純であると思う。基本技を繰り返し々々し、しかも何年も何十年も、稽古の初めから修行の終わりまで続けるのである。どんなに古い稽古人でも初心者と一緒に技を掛け、受けを公平に取り合って精進するのである。高段者だからといって、特別な事を教わるわけではない。柔術などのように技を覚えて昇段したり、免状を貰うわけでもない。淡々と基本技を繰り返し稽古していくのである。

しかしこの合気道の稽古法が素晴らしいのである。
まず、老若男女誰でも出来ることである。基本技(正確には形)はそれほど多くないし、それほど複雑でもないからである。1,2年もやれば一通の基本技は誰でも覚えられる。受けの相手は受けを取る役割だから、技を掛けたら相手は転んでくれる。これは快感であるから、病みつきになる。そしてこの快感のためにも、相手を投げよう極めようとするようになる。
これも悪いことではない。力がつくからである。しかし、必ず壁に突き当たることになる。稽古しているのは自分だけでなく、相手や周りの人達もその快感を求めて稽古をしているわけだから、快感を求めた同士はぶつかりあうことになるわけである。

しかし、どうしてぶつかり合うのかが分からないのである。そして出す結論は、相手が頑張ったから相手が悪いである。この理由もその内分かることになるのだが、更なる問題は、ぶつからないためにどのような稽古をしていけばいいのか分からない事である。道場では形が上手くなるための形稽古をやっているが、各人にどのような稽古をしなさい等のお節介はしない。問題は各自自分で解決しなさいということである。

それでは、合気道にはそのような問題を解決する教えはないかと言うとそんなことはない。素晴らしい教えが豊富にあるのである。只、気がつかないし、理解できないだけなのである。

そこで前述の問題での合気道の稽古を、それ以降どのようにすればいいのかということである。その答えの一つが『武産合気』にあるので紹介する。
「△○□がとなって、これがまた、丸く円になることが合気道の実行である」(武産合気P.27)とある。
これから形を繰り返し稽古する中で、先ず、△の稽古、○の稽古、そして□の稽古(実行)をするのである。「体を△に象り、○を中心に、気により△□の変化と気結び、生産(いくむすび)びを身体に現わし、生み出しつつ気魂力を養成」するのである。もう少し詳しく書くと、体を半身の△でつかい、円の動きの巡り合わせによる円で技と体をつかい、万全の態勢である□に収める稽古をしていくということである。更に、これらの△○□が一つになり、△の中に○□、○の中に△と□、□の中に△と○が一体化しながら、必要に応じて激しい△を出したり、和の円を出したり自由自在に出るようにするのである。
尚、△○□とはイクムスビ、タルムスビ、タマツメムスビのことあり、これを霊的に見ると、△奇霊、荒霊 ○和霊 □幸霊であると言われるから、これらの稽古もしなければならないことになる。激しい心の稽古(△)、相手と引っ付いてしてしまう稽古(○)、そして相手と一体化してしまう(□)の稽古である。

更に「△○□がとなって、これがまた、丸く円になる」とは、を更に練り上げて丸く円くしていくことである。しかしこれは肉体的な魄の稽古ではなく、精神的な魂の稽古であると考える。つまり、上記で云う、“気魂力の養成”である。

やるべき事はいくらでもあるし、どのようにすればいいのかも、合気道では教えているのである。本当に研究しようと思えば、答えはあるし、教えがあるはずである。