【第719回】 魄の力は常に鍛え、鍛え続ける

これまでも合気道にも力は要ると書いてきた。技をつかうにも力はいるのである。合気道には力が要らない等の迷信に陥ってはならないと言ってきた。
改めてここに合気道には力が要ると書くのは、この間この事を再認識し、確信したからである。魄の力はあればあるほどいいし、強ければ強いほどいいのである。魂の学びの稽古の次元に入ったようで、お陰でそれが分かるようになったようである。

合気道にも力が要ることを、呼吸法の稽古で見てみることにしよう。
呼吸法は基本中の基本の稽古法である。前にも紹介したが、本部道場で教えておられた有川定輝先生は、「技は呼吸法が出来る程度にしかつかえない」と言われていたのである。つまり、呼吸法が出来なければ、技もその程度にしかつかえないという事なのである。周りを見ていると、この法則は確かに正しいと思う。勿論、自分自身を振り返って見ても該当する。呼吸法の上達に沿って、技が変わってきたことは確かである。

呼吸法の中でもその典型は諸手取呼吸法であろう。相手が掴んでくる諸手の力に対し、それ以上の力である体幹の力、つまり腰腹の力でその諸手の力を制するわけであるが、その内相手も必ず体幹、つまり腰腹の力で掴んでくるようになるのである。それを簡単に表わすと、
  諸手(相手)< 腰腹(己) → 腰腹(相手)= 腰腹(己)
そしてこの状態が長く続くし、この状態から抜け出すのは難しく、多くの稽古人達が長年に亘って苦労し、孤軍奮闘しているわけである。
この状態の稽古は、まだ魄の稽古の次元である。魄の力に頼った稽古ということである。

この腰腹の魄の力で技をつかえるようになると、大体の後輩や初心者を倒したり抑えることはできるようになるはずだが、もし彼らも腰腹の力で掴んできたり、打ってくるようになれば、互角になるわけだから上手く捌けなくなる。時々、真剣に稽古している者同士で、倒そう、倒されまいともみ合っているのはこれである。真剣に力一杯、腰腹の力で技を掛け合っていれば、もみ合いになるのは不思議ではない。もみ合いを奨励する訳ではないが、もみ合いになるぐらい腰腹の力を一杯つかって稽古をすべきだと思う。それには理由がある。
ここから次の次元への稽古に入っていくことになるわけだからである。その魄の力を土台に、魂をその土台の上に置き、魂で己と相手の魄の力を導くのである。上記の図式は次のように変わる:
  腰腹(相手)< 魂の力(己)
これで腰腹(相手)=腰腹(己)の均衡が崩れることになる。
これが魂の学びの稽古への登竜門であると思う。

この魂の力は、相手の腰腹の力と一体化し、無力化し、自由に導くことができるようになるわけだが、その為の条件として、土台になる魄の力が強固でなければならないことである。十分にしっかりした魄(手、足、体幹等)が出来ていなければ魂の力は出て来ないから、ここまでの稽古で体をつくり、力をつけなければならない。だから、合気道は初心者の頃から力一杯の稽古をしなければならないことになる。合気道は武道であるわけだから当然なのである。

更に、魄を土台にして魂の力で技をつかうようになると、この土台の魄の力は強ければ強いほどいいことが分かってくるのである。そして自分の魄の力はまだまだ不十分であり、更に鍛えなければならないし、更に魂の学びに稽古を続ける限り鍛え続けなければならないと痛感するようになるのである。

魄の力は常に鍛え、鍛え続けなければならないのである。