【第718回】 足で技を掛ける

合気道の技は手で掛けるわけだが、手に頼っていると技は効かないものである。手で技を掛け、効いている内はまだまだ不十分であるということなのである。相手が力一杯攻撃してきたり、相手に思い切り頑張られれば相手を制することは難しい。喩え、相手を制したとしても、相手は納得してくれないし、自分自身も納得できないはずである。例えば、正面打ち一教、二教裏等が効かないのは手で掛けているからだろう。

これまで技をつかうに際して、手は大事であるから名刀のように折れ曲がらず、相手の手の力に負けないような手をつくっていかなければならないと書いた。勿論、手はこのように、また更に鍛え続けていかなければならない。
しかし、この手を更に強靱につかうためには足をつかわなければならないという事なのである。手主体の力より、足からの力をつかう方が強力な力が出るということである。何故ならば、足は地に着いており、地からの力をつかえるからである。

つまり、これまでより強力な力をつかうためには、自分自身の力だけではなく、自分以外からの力をつかわせて頂かなければならないということである。それが地の力である。人間の力などに比べれば強力であると共に、日常の力とは異質な力なのである。異質な力は人を納得させるのである。

技を掛ける際の体のつかい方は、腰腹→足→手の順であるが、今回の足で技を掛けるでもこれは変わらない。ここで重要なのは、足づかいをこれまで以上に注意して技をつかうことなのである。足に地からの力(抗力)を伝え、その気で満たし、その気と力を手に伝えて技を掛けていくのである。手を名刀のように鍛えたように、足も更に鍛え、そして大事に使うという事である。
正面打ち一教はこれでないと、遠慮なく力一杯で攻撃してくる相手を制することはできないと思う。

しかし、技を足で掛けるのは容易ではないはずである。何故ならば、この為にやるべき事やそのやるべき事の為にもやるべき事があるからである。例えば、“このやるべき事の為のやるべき事”としては、名刀の手をつくること、イクムスビの息づかい、手と足と腰腹の十字のつかい、天の浮橋に立つ等々である。更に、“技を足で掛けるためのやるべき事”としては阿吽の呼吸、腹中の玉を陰陽十字につかう事などである。

阿吽の呼吸は天と地を結ぶ呼吸であると考える。足が地に結ぶためには天とも結ばなければならない。もし疑うのなら、足を踏んばって地の力を腰腹、そして手につたえてみるといい。出来ないはずである。天と結んで始めて地ともむすび地からの力が出るのである。
相対する天と地を結ぶ事できるのは阿吽の呼吸であるが、この阿吽の呼吸は、天の上に力と気を出し、同時に地の下に力と気を出すが、また、天に上がった力と気を下に下ろし、地や足と結ぶ事ができるという摩訶不思議な呼吸である。

阿吽の呼吸を身につけるのは容易ではないだろう。私自身も完全に出来ないので、挑戦している処である。ただ一つ言えるのは、阿吽の呼吸をするためには天の浮橋に立たなければならないということである。
足で技が掛けられるようになれば、稽古の次元が変わるはずである。挑戦するほかない。