【第716回】 イクムスビから阿吽の呼吸へ

合気道は相対で技を掛け合って精進していくが、始めは腕力や体力に頼って技を掛ける。これで体が出来、そして腕力もついてくるので大事な稽古である。まずは力一杯、精一杯稽古をしなければならない。
ある程度力がついてくると、次に息で技を掛けるようになる。といっても息だけでは相手は倒れてくれない。やはり体力や腕力をつかわなければならない。息で技を掛けるとは、息で体をつかうこと、体に先行して息をつかうということ、つまり息が主体になって技をつかうということである。
具体的には、技を掛ける際、体は腹、足、手の順でつかうので、腹が最初に動くことになるが、息がこの腹の前に出るのである。

この息をイクムスビという。イーで相手と結び、クーで導き、ムーで投げ抑えるのである。
この息をつかわなければ、相手と結び、一体化することが出来ないし、相手を導き、投げ抑えることができない。

更に、体の各関節を柔軟、強靭にする準備運動でもこの息づかいでやらなければ効果は出ないものである。例えば、開脚の柔軟運動であれば、イーで体を前に倒し、倒れたところからクーで息を引きながら更に前に倒し、その限界のところからムーで息を吐いて更に前に倒すのである。三段階の息づかいである。手首でも首でも、どこの部位でもこのイクム三段階の息づかいでやらなければならない。尚、イクムスビのスビは、相対で技を掛け終わったら、スーと離れ、ビイーのイで相手と結ぶことである。これで途切れの無い稽古になるわけである。

このイクムスビの息づかいは、日常の息づかいと異なるので、最初は意識してつかわなければならない。一番の違いは、日常では力を出す時は息を吐くものであるが、合気道では大きな力を出すのは引く息なのである。合気道では、引く息を”火“、吐く息は火を消す水という。火には大きなエネルギーがあるのである。これを意識せずに、強い力で技を効かそうと息を吐いて技を掛けても効かないのである。その典型的な例が二教裏である。息をクーで引くところをムーで吐いてしまっているのである。
先ずはイクムスビの息づかいを身につけ、イクムスビで技をつかい、柔軟運動でも体と部位を強靭、柔軟にしなければならない。

イクムスビを身につける必要性のもう一つの理由がある。イクムスビがつかえなければ、次の次元の稽古で必須の阿吽の呼吸が出来ないからである。イクムスビができなければ、99%阿吽の呼吸はできないと思うからである。そして阿吽の呼吸が出来なければ、真の合気道、魂の学びの合気道が出来ないのである。  
次の次元の、魂の学びの稽古に入るためには、息づかいをイクムスビから阿吽の呼吸に変えなければならないのである。
先ずはイクムスビを身につけることである。