【第715回】 教えてくれる、導いてくれる

毎朝禊をしている。ほぼ同じプログラムでやっている。精神的な禊ぎと肉体的な禊ぎの構成である。禊ぎは面白いことに、毎日やっていることが少しずつ変わっていく。例えば、剣や杖の素振りでもほぼ毎回平均1つずつ何かが変わっていっているようだ。
また、面白いのは、一つの問題を解決し一つ変わる、つまり上達すると、必ず次の問題、課題が現れる。その問題を解くためにはいくつかのやるべき課題があるわけだが、不思議と一つずつ解決していっている。どれだけ早く解決できるかは、問題の難しさ、並びに己の能力とそれに取り組む姿勢の真剣度によるようだ。場合によっては数日、数週間、数年掛かるものもあるし、一日で解決できる場合もある。どうも自分だけでやっているようには思えない。

最近、特に不思議に思うのは、問題もそうだが、その解決策や方法は何者かが教えてくれているのではないかということである。自分の能力や力だけでやっているとはとても考えられないのである。禊ぎだけではなく、道場稽古でも何ものかに導かれているように思えるのである。
大先生の教えに従って合気道の技を錬磨していくと、こうしろああしろ、これはこうした方がいい・悪い、これは大事だから研究せよ、それが終わったからこれをやれ等々と教えてくれ、導いてくれるようなのである。

若い頃なら、これはすべて自分の能力や才能であると思ったものだが、年を取ってくると、自分がわかってくるし、自分の能力や才能の限界もわかってくるので、己の限界以上のことをやったりできれば、自分以外の何かが手伝ってくれていると思うしかないのである。

最近、この感覚は正しいのだいうことが分かってきた。それは大先生が次のように言われているからである。大先生がその何ものかを教えて下さっていたのである。それは以前から知っていたモノの、信じなかっただけなのである。大先生は、

等と言われているのである。
正しい合気の道を精進すれば八百万の神々が協力、支援をして下さるのである。大先生の言われることを信じる事、疑わない事である。世間の一般な人には信じられないだろうが、合気道家はこれを信じなければならない。さもなければ、八百万の神々が協力、支援はないことになり、自分一人の我流に陥ってしまうはずだからである。

上達をしていくためには、八百万の神々がこぞって喜んで教えてくれ、導いてくれるような稽古をしなければならないということになるだろう。