【第714回】 理論と実践

合気道は技を練り合って精進していく武道である。相対稽古で合気道の技の形を繰り返し稽古していくのである。黒帯になれば、基本の形なら数千回、数万回はやっているはずである。しかし、それでも上手く技は効かないものである。技が効かないというのは、技を掛けて相手が倒れないことだけではなく、自分自身も相手も納得できないということである。例えば、相手を倒したり抑え込むのはそう難しいことではない。力があったり、相手が弱ければ出来るものである。しかし、それは上手ではなく、相手が相対的に弱いだけのはずである。その技づかいで他の相手に効かないかも知れないし、恐らく効かないはずである。

技が効くとは、技を掛けた相手も納得し、そして技を掛けた己自身も納得することである。勿論、武道であるから、相手は倒れている事になるし、極められているはずである。何故、相手も自分も納得出来たり出来なかったりするのかと言うと、その技が理に合っているかどうかということになる。合気道の技は、宇宙の営みを形にし、宇宙の法則に則っているわけだから、つかった技が宇宙の法則に反していなかったということになる。だから、宇宙の法則に合っているから、相手と自分だけでなく万人万物、つまり宇宙が納得することになるわけである。大先生の技はそのような技だったわけである。誰もが納得したし、恐らく鳥獣でも神様でも納得されたはずである。

合気道の技は理に合してつかわなければならないわけである。天地陰陽十字などである。相対で技をつかって止まったり、乱れたりした場合は、法則違反をしているはずなので、法則に照らし合わせ、法則に則ってやるようにすればいい。

しかし理合いの合気の稽古をすると、武道としての勢いや力強さが欠けるきらいが出てくる。更に問題なのは、閃きが出にくくなるようになる事である。
若い頃のように、法則違反もなんのその、勢いと力での実践稽古のときは、要所々で閃きがあり、それが上達の原動力だったと思う。
しかし、年を取ればこの実践稽古は難しいので、新しい稽古の方法を考えなければならなくなる。
それは、実践と理合いの稽古である。やった事は理で説明できるようにし、理論は実践できなければならないということである。これは車の両輪で、片方が欠けても駄目である。
技を掛けて相手が倒れないとか、ひっかかったりした場合は、腕力をつかったり、ただ繰り返してやり直すのではなく、理に合うように修正するのである。
また、理合いで技をつかうように法則を一つでも多く身につけ、蓄え、そして頭を空っぽにして実践するのである。これによって閃きが蘇ってくるはずである。
これからの稽古は、理論と実践の表裏一体の稽古をしていくことであると考えている。