【第714回】 水の位と息

合気道の相対稽古で技を掛ける際、何よりも最初が肝心である。
これまでは相手と接したところが最初の肝心であると書いてきた。相手との接点を動かさずにその対照を動かさなければならない。そうしないと技にならないし、相手に返されてしまうのである。
さて、今回はこれまでの相手と接した処を最初とするのではなく、接する前を最初にするというものである。つまり、相手と対峙した処を最初の肝心とするということである。前の最初の相手と接したときのように、対峙したときに相手と一体化し導くということである。大先生の技の凄さと美しさの要因の一つは、この接する前の最初にあったと考える。大先生は相手と触れる前の相手と対峙した時点から技をつかい始められていたのである。

大先生は、「昔は、兵法に畳の上で道により、天地の息をもって相手の距離を“水の位”とし、それを彼我の体的霊的の距離のなかにおいて相対す。
相手火をもってきたら、水をもって対す。相手を打ちこませると誘ったときは、水が終始自分の肉身を囲んで水とともに動くのである。すなわち相手が打ってくれば、水とともに開くから打ち込まれない。すべて打ち込まれるにも、この真理と合した呼吸で行われなければならない。」(合気神髄 P.98)と言われている。

要は、“水の位”の相対から始めるということである。“水の位”で相手との体的霊的の距離が取れること、水が自分の肉身を囲んでいるので水とともに動くことが出来ること、相手が火をもって攻撃して来たら水で対処できるということである。
しかし“水の位”は身の回りをH2Oの水が囲んでいるわけではない。ここの“水”は息であり、それも吐く息である。
大先生は、「丸くはくことは丁度水の形をし、四角は火の形を示すのであります。」と言われているのである。それ故、相手と対すれば息を吐くことになる。息を吐くことによって、相手と霊的に一体化し、そして息を引いて火と共に相手に接して技を掛け、最後に息をはいて技をおさめるのである。

因みに、吐く息は、○―水―天の呼吸―日月の息―和霊
ひく息は、□―火―地の呼吸―潮の満干―荒霊
と教わっている。一般的には、吐く息の方が引く息より強く激しいように思われるが、合気道に於いては、引く息(吸う息)は火であり、潮の満干を生じ、そして荒魂で激しく、強力な息づかいなのである。

相対稽古で相手と対するときは“水の位”を最初の肝心としたいものである。