【第713回】 心の稽古へ

基本の形を覚え、体ができ、力がついてくると、相手を投げよう抑えようとするようになる。これもいい稽古になるから、これも一生懸命にやるのがいいと思う。こちらが投げよう抑えようとすれば、相手は必ずそれを感じて抵抗したり、反抗してくるから、力の未熟さを実感するだろうし、そして更に頑張ろうとするはずだからである。

この魄の稽古は誰でも出来るしやっている。そしてこの稽古期間が長く続くのである。誰でも無意識ではこの魄の稽古から抜け出したいし、次の次元の稽古に入りたいと思っているのだが、中々抜け出せないのである。何故、これが分かるかというと、自分自身がそうだったからである。

それではどうすればこの魄の稽古から抜け出すことができるのかということになる。その答えを一言で云えば、やるべき事をやることである。やるべき事とはどんな事かというと、大先生が言われている教えである。

最近、相対で稽古をしていて、相手がこれでは魄の稽古から抜け出すのは難しいと思う事があったので、それを基に研究してみたいと思う。
例えば、片手取りで手を取らせて呼吸法や四方投げなどの技を掛ける際、二つの問題によって、魄の力でやるようになってしまうようなのである。
一つの問題は、持たせた手を無暗に動かしてしまうことである。無暗に動かすという事は、法則違反で手をつかっているという事である。法則とは、陰陽、十字、中心の腹と末端の手を結び、腹を中心に末端の手をつかう、体は腹、足、手の順でつかう等などであるから、この法則に合して手をつかわなければ、力に頼ることになるわけである。これは前から書いてきたことである。
二つ目の問題は、技を掛ける時は、先ず、天の浮橋に立たなければならないのだが、これに気づかなかったり、やろうとしても出来ないことである。
実際に相対で技を掛ける際、天の浮橋に立たなければ、相手と一体となることも、相手を制し、導くこともできないものである。

最も分かり易い“天の浮橋に立つ”姿かたちは剣の構えであろう。息(気)は吐く水の姿、手は上下天地に隔たりがなく、宙に浮いてはいるが天と地と結んでいる重い手である。
この手を相手が触れたり掴むと、こちらが何もしないのに、相手はこちらの体重を感じることになる。
これを統合、制御するのは“心”である。相手と触れたところを土台として、心で己の体と技をつかうのである。相手と一体化した、争わない技がつかえるのである。
勿論、これも容易ではない。教えられてもすぐにできるモノではない。どうしても相手と触れている土台を、それまで培ってきた魄の力で動かしてしまうからである。これは心の問題なのである。心が出来なければ技はつかえないのである。逆に言えば、心が出来れば、魄を脱した稽古に入れるという事である。
先ずは心の稽古へ入る事である。