大先生は、「合気道は、まずは天の浮橋に立たなければならない」、「天の浮橋に立たねば武は生まれません」と言われている。天の浮橋に立つことによって天地、宇宙と一体化し、魂魄の正しく整った上に立った十字の姿で盤石になるわけである。この態勢に敵(稽古相手の受け手)が手を掴んだり、打ち込んで来ても、こちらが何もしなくともその手を弾き飛ばしたり、引っ付けてしまう。
過って大先生はこれを稽古の折によく見せて下さり、そして次の様に言われていた。「敵が、“宇宙そのものである私”とあらそおうとすることは、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。すなわち、私と争おうという気持ちをおこした瞬間に、敵はすでに破れているのだ。そこには、速いとか、おそいとかいう、時の長さが全然存在しないのだ。合気道は、無抵抗主義である。無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。邪気ある人間、争う心のある人間は、はじめから負けているのである。」(武産合気 P.8)
ということは、天の浮橋に立ち、無抵抗主義にある相手に攻撃を加えることは負けになるとしたら、攻撃もある合気道の稽古の意味がなくなるのではないか?
しかし、稽古はこれまで通り続けなければならないと思う。その理由は、