【第713回】 合気道は無抵抗主義

大先生は、「合気道は、まずは天の浮橋に立たなければならない」、「天の浮橋に立たねば武は生まれません」と言われている。天の浮橋に立つことによって天地、宇宙と一体化し、魂魄の正しく整った上に立った十字の姿で盤石になるわけである。この態勢に敵(稽古相手の受け手)が手を掴んだり、打ち込んで来ても、こちらが何もしなくともその手を弾き飛ばしたり、引っ付けてしまう。
過って大先生はこれを稽古の折によく見せて下さり、そして次の様に言われていた。「敵が、“宇宙そのものである私”とあらそおうとすることは、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。すなわち、私と争おうという気持ちをおこした瞬間に、敵はすでに破れているのだ。そこには、速いとか、おそいとかいう、時の長さが全然存在しないのだ。合気道は、無抵抗主義である。無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。邪気ある人間、争う心のある人間は、はじめから負けているのである。」(武産合気 P.8)

ということは、天の浮橋に立ち、無抵抗主義にある相手に攻撃を加えることは負けになるとしたら、攻撃もある合気道の稽古の意味がなくなるのではないか?
しかし、稽古はこれまで通り続けなければならないと思う。その理由は、

等である。

天の浮橋に立ち、無抵抗主義に身を置くと、相手の力と心が萎えてしまい、攻撃力がなくなってしまうので、そのままでは稽古にならないことになる。そこで相手に攻撃するよう導かなければならないことになる。しっかりした体(魄)を土台にして、その上の念・心(魂)で相手が攻撃するように導くのである。気と息と共につかうのである。

また、天の浮橋に立ち、無抵抗主義に身を置くと、合気道は勝負が厳禁である意味がわかるし、勝負の無意味さがわかってくる。
まだまだ出来ないし、十分には分からないが、無抵抗主義に徹することができるように修業をしていかなければならない。
そして今の混乱した世界を、合気道の無抵抗主義に導きたいと思っている。