【第710回】 好きなことを好きなように

小学校、中学校、高校時代はやりたくない事も沢山やらなければならず、苦痛だった。試験や宿題のため興味のない本を読むときはいつも、大人になったら好きな本だけを思う存分読んだり、好きなことを精一杯やろうと思ったものである。

しかし、社会人となりビジネスマンとして働くようになっても、その希望を十分果たすことは中々できなかった。
その希望が果たせるようになったのは、65才の定年になり、社会の経済組織から離れた頃からである。勿論、65才の定年になってすぐに好きなことを好きにできるようになったわけではない。それまでのしがらみや習慣などを断ち切らなければならないし、何がやりたいのか、それは本当にやりたいことなのか等を確認し、確信する必要もあったからである。
有難いことは、私には合気道があったので、その土台はあった。大学時代から会社員時代にその土台を少しずつつくってきていたわけである。もし、このような土台がない人は、一から始めなければならないわけだから、本当にやりたい事を見つけ、そして始めるのは大変だと思う。

私のやりたい事、好きなことは、迷いなく合気道である。定年になり、時間的、精神的な余裕ができたわけだから、合気道を好きなようにできるようになったわけである。嬉しいかぎりだ。
合気道を好きにやるということは、合気道に集中していくということになり、他の事はどんどん興味が無くなっていくことにもなる。しかし合気道に集中してやるようになると、合気道に関係する新しい事やこれまで見過ごしてきたこと等に興味を持つようになる。
また、合気道のためにやるべき事が見えてくるし、そのために挑戦するようになる。これまで考えもしなかった事もするようになる。例えば、毎朝の禊ぎである。始めた頃は多少しんどいし、偶には休もうかと思った時もあったが、今では禊ぎは楽しく、毎朝が楽しみである。

本もよく読むようになった。勿論、合気道に関係する本である。結構難しいモノも読んでいる。学生時代なら決して手を出さないようなモノも読んでいるから、我ながら大したものだと思う時があるぐらいだ。合気道に直接関係のないような多くの分野の本や知識に興味が出てきた。武道やスポーツのほか、天文学、地質学、医学、経済学、宗教学、音楽、哲学等である。また、絵画、彫刻、音楽。能楽、日本舞踊等々にも興味を持つようになる。
好きなことを好きなようにできるのは有難いことである。

好きなことを好きなようにするとは、外からの義務、束縛、そして時間から解放されることでもある。自由であるということである。
しかし、分かってきたことは、純粋な自由などないということである。束縛があり、不自由があるから自由があるということである。
それは学生時代や社会人時代の外からの束縛や不自由ではなく、己自身や自然によるものである。
己が好きなことを好きなように、自由にするためには、自分自身からの束縛が必要になる。例えば、起床時間、禊ぎ、三度の食事、十分な睡眠等々である。
また、自然の束縛を受け入れなければならない。例えば、朝太陽が出て、夕方沈む等である。
これらを無視すれば自由に生きること、好きなことを好きにすることは出来ないはずである。

自由の自由などない。物事は陰陽表裏一体というのが合気道の教えである。自由は不自由との背中合わせで一体なのである。
好きなことを好きなようにやりたければ、己自身が課す束縛(不自由)と自然という制約(不自由)と一体となって仲良くやらなければならないことになるだろう。