【第709回】 気と息

これまで体のつかい方にも法則があると書いてきた。それは体に関しては腰腹、足、そして手の順に動かして技を掛けなければならないし、そしてまた、腰腹の前に息が先行しなければならないと書いてきた。要は、息で体をつかい、技を掛けるのである。
息は、イクムスビである。イクムスビはイーで息を吐き、クーで息を吸い(引く、入れ)、ムーで息を吐く。ムーで相手と離れ、ビィーのイで息を吐きながら相手と結び・・と続くわけである。

この順序の法則で技をつかわないと、相手と結ぶ事も、相手を導くことも難しい。この息→腰腹→足→手の順序の法則に則って技の錬磨をしていかなければならないのである。慣れてくればそれまでのこの法則を無視したり、軽視していた稽古とは質の違う、次元が変わる稽古になるはずである。先ずはこのイクムスビの息づかいによる体づかい、技づかいの稽古をしなければならないだろう。

しかし、この法則に則った稽古をある程度続けて行くと、この法則もまだ万全ではないことが分かってくるのである。イクムスビの息によって、腰腹、足、手とつかっていくのだが、時として、息が続かなかったり、吐くと吸うが混同してしまうのである。クーで吸い続けなければならないところを吐いてしまったり、吐いたり吸ったりしてしまうのである。イクムスビの息づかいの法則違反である。
だが、不思議な事にこの息づかいの法則違反でも技は上手く掛かることがあるのである。何故、法則違反でも技が上手くかかるのか?

その答えは、更なる法則である。息に先行し、息を変化させる息の生親である気である。気によって息を微妙に変化させることにとって、体と技が上手くつかえるということなのである。つまり、気を上手くつかえば、息は微妙に変化し、技が上手く効くようになるということである。
大先生は、これを「気の妙用は、呼吸を微妙に変化さす生親(いくおや)である。これが武(愛)の本源である。気の妙用によって、身心を統一して、合気道を行じると、呼吸の微妙な変化は、これによって得られ、業が自由自在に出る。」(合気神髄 P.85)と言われておられる。
気の妙用によって、心身を統一して技をつかえば、息の微妙な変化が得られるのである。気を出すためには阿吽の呼吸で手に対照力を働かせ、魄(身)を土台にし、魂(心)を上・表とする心身統一をするのである。この出てくる気によって、息を微妙に変化させることができ、そして技を自由につかえることになるわけである。

気が息に先行し、息を微妙に変化させるように意識して技を掛けていけばいい。まずは気を出すのである。その後、息、腰腹、足、手とつかうのである。
これが一番分かり易く、身に着きやすい稽古法は、昔はどの時間もどの先生も準備運動代わりに必ずやられていた「転換法」であると思う。特に、これは気の転換には最適である。