【第708回】 不完全な美

NHKの番組で木彫刻家の平櫛田中(1872−1979)と作品が紹介されていたのを見た。

素晴らしい作品をつくったのには共通したことがあると思う。いい師匠や仲間がいた事。ぶれない自己を持っていた事。しっかりした思想、考えを持っていたこと、そして学ぶことが多いことである。
平櫛田中の座右の銘は「いまやらねば いつできる おれがやれねば だれがやる」であり、これを額に入れて掛けていたようだ。
平櫛田中は岡倉天心に師事して木を彫っていたが、質草がなくなるほどの貧乏のようだった。しかし彼は金で売るような作品は一切つくらず、己の心が求めるものを追求していった。ある時、像を彫った。非常にリアルで迫力のある作品だったが、岡倉天心に完全過ぎると極評されてしまうのである。作品は不完全な美でなければならないというのである。天心が目指したのは「不完全の美」であり、完全体ではなくで、観る者に想像の余地を残すものであった。

不完全な美とはどういうことか考えてみる。一つの作品には、見えるところと、目では見えない部分がるが、完全とは見える部分が完璧ということだけでなく、見えない部分によって完璧になるということであろう。つまり、不完全な美とは、見える部分は完全であるが、すべてではなく、見えない部分もあり、その見えない部分が大事であるということだと思う。見る人に感じさせる、考えさせる、想像させる、共感するなどなどの要素が無ければならないという事である。素人と本職の最大の違いはここにあるように思う。また、見る場合も素人と本職にこの違いがあるのだろう。
合気道でも肉体的、物質的な魄でつかう技は効果もないし、美しさもない。この魄を初めはしっかり鍛え、そしてこの魄を土台にして魂(心、念)で技をつかえば効果が出るし、美しくなるということと同じなのだろう。

この後、平櫛田中はロダンの彫刻に影響を受ける。ロダンの考えであるロダニズムは、「心に感じたモノを隅々までフォルムで現わす」ということである、彼はますます心の感じを大事にしていく。
その集大成が国立劇場に展示してある六代目尾上菊五郎をモデルとした「鏡獅子」(写真下)であるといわれるが、平櫛田中はまだまだ挑戦したいものがあったように見える。享年107歳。