【第705回】 心身を甘やかすな

合気道歴も60年になろうとしている。ますます合気道の素晴らしさ、深さが分かってくるし、例えば、今の混沌とした世の中を立て直すのは、合気道しかないように思えてくる。また、ようやく、合気道は魂の学びであるということが分かってきた。
合気道歴が長くなると共に、年も取ってくる。年を取ってくると、体もそれ相応に衰えてくる。自分の衰えは、周りの高齢者も同じように衰えていくので、それほど気にせず、当然だと思ってしまうようだが、合気道の修業を続けるためには、この衰えに反抗しなければならないと考える。年を取れば体は衰えるは自然だろうが、敢えてこの自然には反抗したいと思う。

頭だけで自然に反抗しても意味がない。実際に身をもって反抗しなければならない。体が衰えないように、体を鍛え、体に刺激を与え続けるのである。
体を怠けさせない、頑張らせる、遊ばせない、甘やかせないを目覚めさすのである。例えば、毎朝、体操をする。決めたプログラムを決めた回数必ずやり切るのである。木刀を振ったり、杖の素振り、居合、鍛錬棒、四股踏み、腕立て伏せ、柔軟体操等々を筋肉痛になるぐらいやるのである。筋肉痛がないようなら、体は衰えているはずである。
大先生は、これに詔や神々への祈りを加え、禊ぎといわれ、我々合気道の稽古人達に、毎日、禊ぎをするように言われている。

大先生は86才で亡くなられたが、最晩年まで禊をされ、稽古もなさっておられた。私は大先生が亡くなられる一年前にドイツに行ったが、渡航のご挨拶でお目に掛かった大先生はお元気だったし、その頃はまだまだ我々に神業を見せて下さっておられた。つまり我々には、年に関係なく人間の肉体の可能性や素晴らしさを見せて下さったお手本があるということである。
還暦を過ぎたからとか、70才、80才だから、体が固くなったとか動かないなどとは云っていられないという事である。
そのためには、前述の体を甘やかせないことが何よりであろう。

体だけ甘やかせないのではなく、心、気持ちも甘やかせてはならない。体と同じように、毎日、一回は緊張させるといい。例えば、毎朝、冬でも水を浴びるといい。これも禊ぎになる。また、必ず毎朝7時までには起きることに決めて実行したり、食事も3食必ず取り、残さず食べること等、心との勝負である。

心身を甘やかさなければ、心身は緊張する。心身が緊張すれば、心身は張り切り若さが保てる。大先生とまではいかなくとも、相当な高齢になっても、技の修業を元気に若々しく続けることができるだろうと思っている次第である。