【第704回】 毎日、新たな発見を楽しみに

定年退職して会社にも行く必要がなくなり、何時までに何処に行くという必要もなくなった。毎日、自由であり、好きなように生活ができる。
これは自由を満喫しているといっていいだろう。

自由を満喫するためには、自由を束縛するものがなければならない。何故ならば、自由の自由など無い。不自由や束縛があるから自由があるはずである。自由の自由でやっている高齢者も大勢いる。しかし、自由の自由でやっている高齢者は自由に見えない。例えば、街にリックサックを背負い、帽子を被り、運動靴を履き歩いていたり、休んでいる高齢者を見ても自由を満喫しているとは思わない。

自由を満喫するためには、束縛、不自由が必須である。但し、この束縛、不自由は若い時分の会社や社会からのものではなく、己自身が課す束縛、不自由である。いわば自発的、自主的な束縛である。例えば、朝は6時に起き、10時に寝る。朝の体操をする。部屋の掃除をする。新聞を読む。散歩をする。読書する等々の束縛を自分に課すのである。これらの束縛、つまりやるべき事をやれば、自分の好きなことを好きなようにできるという本当の自由が満喫できるわけである。

毎日、自分で決めたやるべき事をやり、そして自由を満喫できるようになると、毎日が楽しくなる。
楽しくなるとは、新しい発見があること。今まで見たこともない物を見たり、やった事のないことを体験したりすることである。また、新しい出会い、古い出会いもある。それが偶然ならば感激も大きい。また、それまで知らなかったことが分かったり、出来なかった事ができる事である。要は、自分が変わることである。自分が成長することが何よりもうれしく、楽しいものだと考える。

若い頃は、朝起きるのが辛く、中々床離れが難しかった。その理由の大半は、今日はこれこれの仕事があったり、あまり好きではない人と会わなければならないとか、嫌な日のイメージがあったからのようだ。
しかし、高齢者になった今、毎朝、目覚めはよくなり、床離れもいい。今日はどんな発見があるのかわくわくするからである。それに今日はこれをやってみよう、稽古ではこの技や理を試してみよう、この技を形にしよう等々とじっとしていられなくなるのである。上手くいけば、その日は楽しい日と喜び、上手くいかなければ次に挑戦しようということになる。
毎日が、新しい発見の連続であり、楽しいものである。高齢者万歳。