【第704回】 続「魂が魄の上になり、魄が土台になって魂で導く」と
魂の学びの真の合気道に入っていくと、前回『第703回「魂が魄の上になり、魄が土台になって魂で導く」と』で書いたように技が変わってくる。相手とくっつき、相手と一体化し、相手の反抗心を消滅させ、相手を自由に導けるようになる。これまでの魄に頼った技とは違ったものになり、合気道の技の集大成であり、武道の理想ではないかと思う。
しかし、もしこれだけならば、合気道や武道界においては意味があるだろうが、他の世界・分野や一般社会の人々にとってはあまり興味もないだろうし、どうでもいいことであり、精々「魂の学びをご苦労さん」と言ってくれるということだろう。
合気道では高尚な“魂の学び”の修行をしたとしても、世間では井の中の蛙と見ているはずである。
勿論、合気道をつくられた大先生は、井の中の蛙の合気道をつくり、残されたのではない。
合気道の修業の目標は、つまり、合気道修行者の目指すべきものは、宇宙との一体化であり、また、合気道が目指すモノは、宇宙天国・地上楽園建設である。これらの目標は、合気道の領域を超えて、万人、万有万物が無意識の内に感じ、求めているはずなので、共感、賛同してくれるはずだと考える。
更に、魂が魄の上になり、魄が土台になって魂で導いて技をつかうようになると変わってくるものがあるようである。それは、
- 欲がなくなる。余分な金や物を持とうと思わなくなってくるし、他人の豪邸や高級車等々興味がなくなる。名を売って有名になろうなどとも思わなくなる
- 感動しやすくなる。自然でも、人間の情でも感動し、笑顔になったり、涙するようになる。
- 悪いことができなくなる。道徳的に悪いと言われること(盗み、誤魔化し、嘘等)はやる気がなくなってくるようである。また、虫が殺せなくなる。部屋に入ってきた虫は外に出してやり、血を吸いに来た蚊でも、殺さないように追い払う。
- 自分がわかってくる。自分は何者なのか、何をすべきか、そしてどうなるのか等がわかってくる。
- 使命を自覚する。自分はこのために生かされ、そのために、様々な機会にいろいろな支援や試練が与えられてきたことがわかる。
- 死にバタバタしない。80年間近く生きてきたこともあるが、癌などの病気があるのではないかなど心配したり、病気になったらどうしようなどと心配しないようになる。あちらにお任せである。
等々、魂の学びの修行に入っていくと、それまでの考えや気持ちとは違ってくる。一皮むけたようであり、心体を覆っていたベールが一枚剥がれたような感じである。
しかし、これを読んだ人は、これは私個人の事で、私には当てはまるかも知れないが、我々には関係ないだろうと思うかも知れない。
そこでこれらの変化は、個人的な特殊なものではなく、誰にでもできる変化、普遍的な変化であるはずだとの根拠を紹介することにする。それは大先生の体験からの教えである。
「合気を修したならば、悪いことをしようと思っても悪いことはできない。というより悪い想念が消えてしまう。欲望がなくなるのである。只修業しようとする大欲はなければならないけれど、すべて天の使命を想い、悪い執着も去って忘れてしまう。それは私の体験で明らかである。」(武産合気 P.86)
私の魂の学びで変わったことは、上記の大先生の体験の方向性と同じであるから、私の修行に大きな間違いはないということになるだろう。
合気道の魂の学びの修行は、このように宇宙との一体化、宇宙天国・地上楽園建設のお手伝いであるから、武道を知らない一般人にも関心が持たれるはずである。特に、最近は力と力のぶつかり合いの戦争や争いが世界各地で頻発しているが、人類や世界はこれをどう解決できるか分からず、苦悩している。
私が知る唯一の解決策は合気道にあると思う。勿論、合気道とは真の合気道である。魄(財力)と魂(心、精神)とバランスを取り、魄を土台にして魂で魄をつかうことである。それ故、魄(財力)が大きければ大きいほど、それに対する魂(心、精神)を鍛え、磨かなければならない責任がでてくることになる。合気道で云う、天の浮橋に立つということである。金のある国や人は容易ではないが、責任重大である。真の合気道を学び、自分を変え、世の中を変え、そして世界、宇宙に天国を造っていって欲しいものである。
大先生は、人に3日でもいいから合気道を学びなさいといわれたといわれるが、この理由だったのだと考える。
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