【第703回】 合気の鍛練方法

「合気道は魂の学びであります」と教えられているが、難しい。中々魄の稽古から抜け出せない事と、どうすれば魂の稽古に移行出来るか分からないからである。
以前から書いているように、入門して当分の期間は、まず、技の形(一教や四方投げ等)を覚えるが、当然、魂(心、念、精神)ではやってはおらず、腕力や体力などの魄でやっている。そして形を覚えてくると、それで相手を投げたり極めたりするようになり、多くの稽古人はこれで合気道が出來たと思ってしまうようだ。しかし、これまでの段階は、筋肉をつけ、体力をつくり、体のカスを取り、体の節々を解きほごすための次への準備段階なのである。大先生は、「合気道の技の形は体の節々をときほごすための準備です。」と言われているのである。」形(基本技)を覚えたとしても、それは次の段階への準備段階だということであり、ここから真の合気道の稽古に入っていくわけである。

それでは魂の合気道の稽古に入っていくためにはどうすればいいのかということになる。それも大先生は教えて下さっているから、その教えに従って稽古をすればいい事になる。真剣に修業をしていれば、それが分かるものである。

これまで魄の稽古を十分してきているならば、魄の体は出来ているはずである。しかも、魄の体も重要なのである。魂が十分に働けるためには、体がしっかりしていなければならないからである。この魄の体を土台にして、この土台の上に魂(心、念、精神)を置き、そしてその魂で己の魄の体と相手を導くのである。これが魂の技づかいの魂の稽古ということになるはずである。

しかし、「この魄の体を土台にして、この土台の上に魂(心、念、精神)を置き、そしてその魂で己の魄の体と相手を導く」のは、簡単にできることではないはずである。体のつかい方のほかに息づかいが難しいからである。息で体を理に合わせてつかわなければならないのである。

大先生は、「はく息はである。ひく息はである。腹中にを収め、自己の呼吸によっての上に収めるのです。理の呼吸につれて、呼吸をつくり、技の姿もかくの如くでてくるのです。」(『武産合気』P.73)と言われているが、ここにそのヒントの教えがあると思うので、一つ一つ説明してみる。

まず、「はく息はである。ひく息はである。腹中にを収め、自己の呼吸によっての上に収めるのです。」(『武産合気』P.73)と言われているから、この呼吸で魄の体の土台をつくる。そしてこの体の土台の上に魂(心、念、精神)を置き、土台を動かさずに、魂で己の体(手、足)を動かすと技になるのである。
これを大先生は、「理の呼吸につれて、技の姿もかくの如く出てくるのです。」(同上)と言われている。ここで注意しなければならない事は、体の土台がしっかりせずに土台にならないことや土台を動かしてしまうことである。よほど注意しないとこれをやってしまうことになり、そうすると魄の稽古になってしまうのである。だから大先生は、「魄に墜せんように魂の霊れぶりが大事である。」と注意されているのである。

そして大先生は、「これが合気の鍛練方法である。」と言われている。
つまり、これが、真の合気道の鍛練方法であるということであり、この稽古こそが魂の稽古、魂の学びの稽古ではないかと思う。