【第700回】 合気道の愛

合気道の修業は大先生の教えに従って精進していかなければならない。大先生の教えを無視したり、逆らったら精進はないし、体を痛めることになる。しかし、大先生は最早、我々の世界には居られないから、直接教えを受けることは出来ない。大先生の教えが書いてある聖典である『武産合気』『合気神髄』から教えを受けなければならないことになる。
これらの聖典は難解であるはずだ。技がつかえる程度にしか理解できないからである。技のレベルが上がればそれだけ理解できるようになるということである。そしてまた技のレベルを上げるためにも、これらの聖典を読まなければならないはずである。

この聖典『武産合気』『合気神髄』を毎日少しずつだが、毎日読むようにしている。何度繰り返して読んでいるかわからないが、読むたびに少しずつ解らなかったことが分かってくる。昔の人が、「読書百篇意自づから通ず」と言った意味が分かってくる。
また、それまで解ったつもりで見ていた言葉や読んでいた文章が、実はよく分かっていなかったこと、その重要性に気がつかなかったことにも気がつくのである。その一つに「愛」がある。

今回はこの「愛」について研究してみたいと思う。
この聖典『武産合気』『合気神髄』には、例えば、「合気道とは、真の武であり、のみ働きであります。」「より熱も出れば光も生じ、それを実在の精神において行うのが合気道であります(合気神髄 P125)」「合気道とは、各人に与えられた天命を完成させてあげる羅針盤であり、和合の道でありの道なのです。(合気神髄 P32)」等とあるが、「愛」とは何かが分かっているようで、よく考えてみると、解っていないことが分かる。この「愛」が解らなければ真の合気道は分からないし、精進もできないと思うので研究が必要と思うからである。

「愛」の意味を調べてみると、分野や対象などによって色々な意味がある。
まず、一番一般的な意味は辞書にある。
漢和辞典(広辞苑)①或るものにひきつけられ、それを慕い、あるいはいつくしみ、かわいがる気持ち②男女間の慕う気持ち③愛玩すること④愛撫すること⑤(キリスト教で)神が人間に幸福を与えること⑥(仏教では)師や目上を敬い、真理を尊ぶ感性は清らかな愛で、これを万人に及ぼすことが理想である

しかし、この「愛」は合気道の愛とは少し違うようである。
合気道の愛は一般的な辞書で言われているような意味とは違うと思うが、合気道の「愛」は、その一般的な辞書にあるような意味と対立するのではなく、重なる部分もあるはずである。言うなれば、全体と部分の関係になるのではないかと考える。つまり、合気道の「愛」が、辞書の愛や他の分野の愛、例えば、宗教界、経済界、科学の世界の愛と一致したり、重なり合うということである。

先ずは、合気道の愛が、聖典『武産合気』『合気神髄』ではどのように表現されているか、幾つかの例で見てみることにする。文章毎に、愛とは何かを○でまとめた。

「合気の道はを守の道であります。なくばこの世の一切は成り立たないのです。故に合気の真の働きがなければこの世はつぶれると私は信じているのであります。」
○愛なくばこの世の一切は成り立たない
○愛は守られなければならない

「主の至ひびき生まれし大宇宙御営みぞ生まれいでたる」
○大神(主)の愛は大宇宙を生み、営みを生んだ

「森羅万象を正しく産み、まもり、育てる神のの力を、我が心身の内で鍛練することである。」「合気真髄p.54」
○神の愛は「森羅万象を正しく産み、まもり、育てる」こと
○愛は力がある
○愛の力は、我が心身の内で鍛練することができる

「その実は大なるの攻撃精神、和合、平和への精神である。
それがために自己のの念力(念波観音力)をもって相手を全部からみむすぶ。があるから相手を淨めることができるのです。」
○愛は念力がある
○愛は相手を浄めることができる

「日本の武道とは、すべてを和合させ守護する、そしてこの世を栄えさせるの実行の競争なのである。」
○愛は、この世を栄えさせる

「そして至純至たる普遍に神習い、自分も普遍を行ぜねばなりません。これが合気道のつとめである。これが私の言う二度目の岩戸開きであります。」
○愛は普遍

「自己のの念力(念波観音力)をもって相手を全部からみむすぶ。があるから相手を淨めることができるのです。」 
○愛は念力がある

より熱も出れば光も生じ、それを実在の精神において行うのが合気道であります(合気神髄 P125)」
○愛は熱と光を出す

「武道の鍛練とは、森羅万象を正しく産み、まもり、育てる神のの力を、我が心身の内で鍛錬することである」
○愛とは、森羅万象を正しく産み、まもり、育てる

「世界人類の平和のため、少しでもお役に立とうと、自己を宇宙の中心に帰一しようとする心が必要なのです。合気道とは、各人に与えられた天命を完成させてあげる羅針盤であり、和合の道でありの道なのです。(合気神髄 P32)」
○愛とは、世界人類の平和のため、少しでも役に立とうとする、各人に与えられた天命を完成させてあげようとする心

「真の武道とは愛の働きであります。殺す争うことではなく、すべてを生かし育てる、生成化育の働きであります。愛とはすべての守り本尊であります。愛なくばすべては成り立ちません。合気の道こそ愛の現れなのであります。(武産合気 P.38)」
○愛とは、すべてを生かし育てる、生成化育の心
○愛とは、すべての守り本尊

ここから合気道の「愛」とは、最後の2つの、
○愛とは、世界人類の平和のため、少しでも役に立とうとする、各人に与えられた天命を完成させてあげようとする心
○愛とは、すべてを生かし育てる、生成化育の心
にまとめることが出来ると考える。

そしてこの「愛」は、その上にあるように、力があり、念力があり、普遍であり、熱と光を出し、その結果、相手を浄めることができ、この世を栄えさせることが出来るのである。
それ故、愛は守られなければならないし、愛なくばこの世の一切は成り立たないので、そこで合気道がその愛を守るわけで、そこに合気道の使命があるわけである。これを大先生は、「合気の道は愛を守の道であります。愛なくばこの世の一切は成り立たないのです。故に合気の真の働きがなければこの世はつぶれると私は信じているのであります。」と言われているのです。

長文になってしまったので、この続きは次回にする。
次回は、「他の世界の愛」と合気道の愛の関係と普遍性を研究してみたいと思う。