【第698回】 活眼を開く

年を取るということは理想の人となっていくことだと思う。自分の理想とする高齢者に向かっていくことである。
自分の理想とする高齢者は、肉体的精神的に健康であること。生きていることを楽しむ。無欲になっていくこと。自分の天命を知り、その使命を果たしていくこと。後進や若者たちに、先人たちから受け継いだモノを継承する等々である。
理想を目指して日々生きているつもりだが、この理想のために合気道の修業をしていることになる。

合気道の稽古をしている所為か、最近、更なる理想が加わった。それは物事の本質を正しく見通す人間になることである。物事の良し悪しを正しく判断し、正しいことを推進し、悪いモノは阻止し、排除していくのである。これは武の本質であり、合気道を修業していけば行き着くところなのだろう。
この為には活眼を開くことが必要である。

活眼とは、物事の道理や本質を正しく見分け見通す眼識や見識であり、この活眼を身につけるのである。
それではどうすれば活眼を開くことができるようになるかというと、合気道開祖の大先生は、「人は思うままに三界を日々織りなして、心の持ちよう一つで、宇内(天下。世界。あめがした。)を開くことが与えられているのです。早く皆様と共に活眼を開いて、合気の僕たる常盛(大先生)と共に、スの大神様のみ子たる処のつとめを、三界の楽園に遊びつつ楽しみつつつとめましょう。常に心の持ちようで愉快になります。(武産合気 P.40)」と言われているから、活眼を開くのは心のもちようということになる。

ここでの心とは、真の心の魂で、宇宙の心ということになるから、宇宙(宇内)の心が持てれば、活眼が開けることになり、物事を正しく見通すこともできるし、また、顕幽神の三界に自由に遊ぶことができるというのである。これまで見えなかった世界が見え、そこで遊べるのである。狭い心ではなく、宇内の心をもてるように合気道の修業をし、生活をしていかなければならないということである。また、禊で、目を洗い、見てしまった邪や悪を洗い流し、そして邪や悪を見ないようにしなければならないだろう。

活眼が開ければ、更に楽しく有意義に生きることが出来るようである。