【第697回】 神

長年合気道の修業をしていると「神」という壁に突き当たり、避けて通れなくなる。何故この「神」の壁を突破しなければならないかと言うと、
一つには、技の修業をしていると、自分の力だけでは限界を感じ、自分以外の力をお借りしたくなることである。宇宙の力、そして神の力等である。
二つには、大先生の話されたり書かれた聖典『合気神髄』『武産合気』を繰り返し精読しているが、頻繁に神様が出てくるので、「神」が分からなければ、それらの聖典が理解できないし、大先生の真の合気道の教えが分からないからである。

大先生の「神」について、両聖典で何とか理解しようと努めてきたが、十分に理解出来ていないのが実情である。このまま繰り返して精読し稽古を続けていれば少しはましになるだろうが、これはこれで続けることにして、別な方法で「神」を研究することにした。
それは、大先生以外の方々の「神」の考えを研究し、勉強することである。
そしてその方々は、有川定輝先生、ホーキンス、アインシュタインである。

まず、有川定輝先生である。先生は道に厳しく、近寄りがたかったが、優しさがあった。先生の晩年の技は神業と思ったほど、美しく、力強く、芸術的で素晴らしい技づかいであった。
また、先生は人の喜びや悲しみを共にして下さった人情家でもあった。そして、腕に止まった蚊を叩き殺すことをせずに、腕を振るって逃がしておられたような優しさもお有りだった。

今になると分かるのだが、先生は、我々が近づけないような、相当な次元にまで到達されておられていたはずである。それは「神」の次元である。
有川定輝先生は、「技から道、道から神っていう言葉がありますね。技を極めることによって神につながる。だから私は技即道即神という考えですね。」
また、「道とは技を極めていくという意味で、極めることによって普遍的なものが見えて来るわけですよ。普遍的なものというのは真理ですから。真理というのは神ですね」と云われている。

有川先生の「神」は、普遍的なものである真理である。神(普遍的なものである真理)につながるために、技を極めるのが合気道であるといわれているのである。普遍的なものである真理を身につければ神業になるわけである。晩年の有川先生の技が神業であったということは、先生は普遍的なものである真理、つまり、「神」とつながっていたということである。

有川先生の「神」に近い考えが、イギリスの理論物理学者で、2018年3月に78才で亡くなったスティーヴン・ホーキング博士である。博士は、物理学、理論物理学、天体物理学、宇宙分野で活躍されていた。
ホーキング博士は、「私はアインシュタインと同じく、「神」という言葉を、人格を持たない自然法則という意味で用いる。したがって、神の心を知るということは、自然法則を知るということだ。私の予想では、今世紀の末までに、人類は神の心を知ることができるだろう。」(『ビッグ・クエッション <人類の難問に答えよう』(NHK出版)p.42)と言われている。

ホーキング博士の「神」は、自然法則である。有川先生の普遍的なものの真理と同じといっていいだろう。
しかし、ホーキング博士の「神」の、自然法則は人格を持たない自然法則であるという。これが後に述べる大先生の「神」と違うような気がするが、それは次回に書くことにする。

次にアインシュタインの「神」について書く。
アインシュタインは、まず、神の存在を信じるべきであるという。その理由は、「今日の科学は、特定の物体の存在を証明することができるが、特定の物体が存在しないことを証明することはできない。従って、われわれがある物体が存在することを証明できなくても、その物体が存在しないということを断定してはならない」
また、「今日の科学が神の存在を証明できないのは、科学がそこまで発展していないのであって、神が存在しないのではない。人間の五感は限られており、神の存在を感じることはできない。科学も神の存在を否定はできないのであるから、われわれは神の存在を信じるべきである」と言っている。

そしてアインシュタインは、「愛は神であり、神は愛だ」という。「現段階では、科学がその正式な説明を発見していないある極めて強力な力がある。
それは他のすべてを含み、かつ支配する力であり、宇宙で作用しているどんな現象の背後にも存在し、しかも私たちによってまだ特定されていない。  この宇宙的な力は「愛」だ。」という。

また、「私たちを裏切る結果に終わった宇宙の他の諸力の利用と制御に人類が失敗した今、私たちが他の種類のエネルギーで自分たちを養うのは急を要する。もし私たちが自分たちの種の存続を望むなら、もし私たちが生命の意味を発見するつもりなら、もし私たちがこの世界とそこに居住するすべての知覚存在を救いたいのなら、愛こそが唯一のその答えだ。」という。
「愛」を「神」換えて読めば、アインシュタインの「神」がわかるだろう。

有川定輝先生、ホーキンス、アインシュタインの「神」につぃて書いた。これで「神」について二つのことが分かる。
一つは、「神」とは、教科書や小説にあるような人格的な超能力を有する姿かたちがある神人ではなく、自然法則であり、普遍的なものの真理であるということである。(注 アインシュタインは違うようだ)
我々が合気道で神の心を知ろうとしているわけであるが、それは取りも直さず、自然法則や普遍的なものの真理を知るということである。これまで、技の錬磨で宇宙の営み、宇宙の法則を見つけ、身につけることをやってきたわけだが、これは神を知ろうとしていたことということになるわけである。
神業を目指すために、自然法則や普遍的なものの真理、つまり、「神」で技と体をつかっていかなければならないことになる。

二つ目は、「愛は神であり、神は愛だ」ということである。「合気道とは、真の武であり、愛のみ働きであります。」「合気の道は愛を守の道であります」と言われるように、合気道は愛の武道と言われる。
合気道は愛のみ働き、つまり神のみ働きの武であるということであり、合気道は愛を守の道、つまり、神を守る道なのである。テロや種々の暴力核爆弾や危険な殺傷兵器が開発され、それが戦争や紛争で使用され地球や人類が危機に瀕しているが、それに打ち勝つことが出来るのが「愛」であり、「神」であるということである。

次回は大先生の「神」を研究してみたいと思う。