【第695回】 一霊四魂三元と八力

これまで一霊四魂三元八力を少しずつ研究してきたがまだまだ不十分である。
不十分ということは、二つの面で不十分と言うことである。一つは、頭で理解できないこと。二つ目は、技で表わせない事である。合気道に於いて、この二つ目の技で表わすことが大事であるから、技で表わせない限り、分かったとは言えないことになる。
しかし、合気道を修行するならどうしてもあるレベルのところまでのことは分からなければならないと思う。大先生は、「一霊四魂三元八力や呼吸、合気の理解なくして合気道を稽古しても合気道の本当の力は出てこないだろう。」と言われているからである。

一霊四魂三元八力の一霊四魂三元までは、何とか頭では少し分かってきたようだし、技にも現わせるようになったと思う。
一霊は、直霊(なおひ)で、四魂すなわち、荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)、幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)を統括するといわれるから、これを技に表わせば、一霊の意志である、宇宙楽園建設の生成化育に則り、それを邪魔したり破壊しないような至善、至愛の精神で、荒魂、和魂、幸魂、奇魂を適宜駆使し、そして体を気流柔剛、イクムスビ(△)、タルムスビ(○)、タマツメムスビ(□)等の三元につかっていくことだと思っている。

さて、一霊四魂三元八力の八力である。
八力とは要は、一霊四魂三元から出るエネルギーの力と考える。それもただの力ではなく八力である。八力とは引力を持った力でなければならない。何故ならば、合気道は引力の養成と言われるからである。引力がつくような修業をしなければならないからである。
引力がつく力になるためには、その力は対照力を持ったものではなくてはならない事になる。相反する力を兼ね備えるということである。
大先生は、この対照力のある力を、動、静、解、疑、強、弱、合、分の力と言われている。動と静、解と疑、強と弱、合と分等と対照的に働いているわけである。

これを修業している技でどのようにつかうかというと、これらの相反する力を対照的につかうことである。例えば、動の中に静,静の中に動、強の中に弱、弱の中に強などと技をつかうのである。
八力がつかえるようになると、相手をくっつけることができるようになる。
合気道の上手下手はこの引力によってもすぐわかる。

しかしこのように対照力の八力をつかうのは容易ではない。理由は、その為にやらなければならない事があるからである。
まず、相手が掴んでいたり、打ってきた相手と接している箇所に全体重が掛かるように出来なければならない。これが土台になり、この上に魂(心・念)が来て、そしてこの土台になっている魄(体)とくっついている相手を導くのである。この状態になってはじめて、八力がつかえるのである。
大先生が言われる、「体を宿として、土台として、その上に霊、魂を働かすのである。霊の思うままに体が動くことである。(武産合気 P.99)」である。

更に、阿吽の息づかいをつかわなければならない。阿吽の息づかいをつかわなければ、体が上手く動かないだけでなく、大きなエネルギーが体に入って来ないので、十分な力が出ない事になる。
また、阿吽の呼吸はイクムスビの呼吸が出来ないと難しいだろう。イクムスビの息づかいは日常の息づかいと違うので、イクムスビの息づかいに変えるのも難しいだろう。

しかし、八力が出て来て、つかえるようになると技は大きく変わる。
そして、ここから一霊四魂三元八力、呼吸(阿吽の呼吸)、合気(引力)により、力に頼らない合気道の本当の力が出てくるだろうと思う。