【第694回】 技は難しいけど簡単

合気道は技を練りながら精進していく武道である。稽古の目標は宇宙との一体化である。
技を練るということは、技の法則を見つけること、その法則を身につけること、そしてその技を精錬していくことだと考える。

技は宇宙の営みを形にしたものであり、宇宙の法則に則っているから、法則に則っていなければ技にならないことになる。
技にならないとは、簡単にいうと相手が倒れてくれないということである。合気道は、相手を倒すために技を掛けるわけではないが、合気道は武道であるから、技を掛けて相手が倒れてくれなければその技は失敗作ということになる。

技は法則に則っていなければならないが、技に則る法則とは何かを見つけていかなければならない。その為には、合気道をつくられた大先生の教えを研究しなければならないと思う。大先生の演武の映像を見たり、大先生が話されたり、書かれた『合気神髄』『武産合気』などを精読することである。
勿論、映像にしても書籍にしても難解である。我々の居る次元とは異なっているからである。例えば、という記号が出てくるが、日常の解釈では解明は難しいはずである。
合気道の世界に入り込み、大先生の言葉を噛みしめて稽古をすると、十字から○(円)が出来、円の動きの巡り合わせで技ができ、そして合気道を十字道ということがわかってくるわけである。つまり、十字から円ができることは、宇宙の法則であり、技も体も十字々につかい、円く円く動いていかなければ技にならないということである。手先、足、腰を十字々につかわなければ技にならないのは事実であり、法則なのである。

法則を見つけ、身につけるのは難しい。十字、陰陽、表裏、天の浮橋に立つ、対照力、イクムスビや阿吽の呼吸、天火水地の十字の交流などなど法則を、相対での形稽古から見つけるのは難しいものである。何故難しいかというと、相対稽古ではどうしても相手を意識してしまい、法則を見つけようという気持ちが吹っ飛んでしまうからと考える。相手を極めてやろうとか投げてやろうと思ってしまい、法則が忘却の彼方にいってしまうわけである。相手は居てもいないという境地になり、相手ではなく、己との戦いの稽古をしなければならないだろう。

また、法則を見つけたと思い、その法則に則って技をつかおうとしても、初めは上手くいかないものである。また、その法則を知らなかった時より、必ず一度弱くなるので、もとのやり方に戻ってしまう人も多い様に見る。

まずは、技は法則に則っているのだと、大先生の言を肝に銘じ、法則を見つけてやると努力し、多少力が弱くなっても我慢する忍耐と覚悟で、ひとつひとつ法則を身につけていかなければならないと思う。

法則はつくるものではない。既に宇宙に存在しているものだ。自分でつくるのではない。それを見つけるだけでいいのだ。
見つけた法則は、誰がつかってやってもいい技になる。誰が、誰とやっても、どこでやってもいい技になり、相手は倒れてくれることになる。これを科学と云う。同じ条件でやれば、同じ結果が出るということである。大先生も、合気道は科学であると言われているが、このことも言われていると思う。
科学なら誰でもできるわけである。後進に技を教えようとするなら、法則を教えればいい。誰でも誰にでも教えることもできるはずである。

法則を見つけ、身につけるのは難しい。しかし、法則に則って技をつかえば、誰もが、誰とやっても出来るわけだから簡単であるといえよう。また、教えるのも容易である。技は難しいけど簡単であるということである。