【第694回】 三種の神器

日本の国を治めてきた天皇家には、治世者のシンボルとして三種の神器が受け継がれてきている。天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、八咫鏡(やたのかがみ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)の御剣、御鏡、御玉である。
この三種の神器は世の中を治めるために必要なモノのシンボルであると云われる。

大先生は、「わが国には昔の話に三種の神器というものがありました。御剣、御鏡、御玉、これは剣とか鏡そのものをいうのではなく、勇、智、仁という、人として欠くことのできない心の宝を指してかくいうのであります。」(合気神髄p31)言われておられるから、御剣は勇、御鏡は智、御玉は仁ということになる。

天皇家が他の国々に比類ないほど長い間、国を治めてきたのは、この三種の神器のお蔭であるといえよう。日本を治めるためにはこれらの三種の神器が必要であるし、また、人として自分を治めるためにも、この三種の神器の勇、智、仁が必要であるということになる。

さて、天皇家に三種の神器が必要なことと、それが御剣、御鏡、御玉(勇、智、仁)であることは理解できた。また、個人が人として生きていく上で、勇、智、仁という三種の神器は不可欠であることは間違いない。

次に合気道における三種の神器を研究してみたいと思う。以前は、合気道と三種の神器などは関係ないと思っていたし、三種の神器など興味がなかったが、最近、三種の神器は合気道に大いに関係があると思うようになった。

その切っ掛けになったのは、次の大先生の写真である。

大先生が、剣を背負い、鏡を胸に掲げ、玉を抱えられている肖像画である。剣と鏡と玉の三種の神器を携えた姿が描かれているのである。画家は、田村英二画伯であるが、恐らく、画家の心の目に、大先生の体に三種の神器が見えて描いたか、大先生のご希望だったかもしれない。しかし、いずれにしても、合気道と三種の神器は関係があり、切っても切れない関係があるということを示している事には変わりはない。

合気道も三種の神器を基にしなければならないということである。とりわけ、稽古で練っている技は三種の神器の宝が欠かせないということであり、そしてその技の修練によって、己自身が三種の神器を兼ね備えた人間にならなければならないということであると思う。
大先生は、「合気道はこの古の神器の姿を、みな自分の腹中に胎蔵して修行していかねばならぬ」ことを教えています。(合気神髄p31)

三種の神器の勇智仁を、つかう技にも取り入れていき、勇智仁を備えた合気道家になることである。尚、勇智仁の勇は勇気、智は一般的知識と宇宙の知識、仁は愛であろう。
合気道でつかう技は、この三種の神器である、勇智仁の勇気、一般的知識と宇宙の知識、そして愛を備え、そしてこの三種の神器の姿を、自分の体に胎蔵して修行していかねばならないことになるわけである。