【第692回】 使命感

先日、NHKの番組を見ていたら、日本画家の東山魁夷画伯(写真)の作品や画伯のお話が紹介されていた。尊敬する画伯なので興味深く見ていると、唐招提寺障壁画『濤声』『山雲』『黄山暁雲』のシーンだったと思うが、「これを描くために生きている」という言葉が印象的で耳に残った。
「これを描くために生きている」とは、これが東山画伯の天から与えられた使命ということになるだろう。また、それを自覚したから素晴らしい作品になったのだと思った。

そこで東山画伯の使命感に関して調べてみると、画伯は己の使命感を次の様にも言われているのである。 そこで使命感と使命について辞書などで調べてみると、 一般的に「使命感」とは、特に職務上での役割の中で、与えられた責任の意味としても捉えられている。類似した表現としては、義務、債務、責務、職責、務め、任務等といった語句があるが、ここでの使命感は、天命、生きる目標の方である。仕事の任務と使命感を混同しないようにしなければならない。

本来、使命感とは自分の長い人生で何をしていけば幸せになるかに気づくことであろう。自分は何のために生まれてきたのか、自分は何をすべきなのかに気づき、それに時間と労力を注ぎ、その完成・完結に近づけようとすることが、大きな他力(天)から与えられた使命ということになるだろう。

使命感に気がつくと、これまでの人生がこの使命のためにプログラムされてきたことが分かる。死んでもおかしくない状況から何度も抜け出したり、両親をはじめ、いろいろな方々に出会い、親切にしてもらったり、教えを受けるわけだが、すべてその使命の為だったということに気づき、その方々が神様に思えてくる。

使命感に気がつけば、後はその使命を果たしていくだけになる。それ以外は興味が無くなってくるものだ。生命を保持するだけの衣食住があればいい。病気や死などは、使命を与えられた大きな他力(天、神)にお任せするようになる。つまり、死んだときは使命修了ということだから、バタバタすることもない。更に、合気道の稽古でも、大きな他力が使命を支援して下さるのか、これまでに無かったような力が出てくる。

大先生にしても、東山魁夷画伯にしても、使命感を持たれ、それをやり遂げられた故に、あのような素晴らしい仕事を残されたのだと考える。

因みに、大先生は、世の中の形のあるモノにはすべて使命があるといわれている。虫にも草花にも使命がある。また、合気道にも使命があるし、宇宙にも使命がある。人間各人にも使命が無いわけがない。人も各自使命感を持つようになると、もっといい世の中になると思う。