【第691回】 修業から修行へ

「しゅぎょう」には二つの言葉がある。修業修行である。合気道ではこの両方の修業と修行がつかわれている。大先生の道話や教えが載っている『合気神髄』を見るとそれがわかる。例えば、

修業:

修行: 次に、修業と修行の意味を辞書で調べてみると次の様になる。
修業:①学業や技芸などを身につける事 ②学業や技芸などを習って自己を完成させること (角川最新漢和辞典)
修行:仏法をおさめ、善行を行うこと(角川最新漢和辞典)、仏教や武道をおさめる(例えば、武道修行、武者修行)
因みに、「修」の字の成り立ちと意味は、
<成り立ち>:攸(ゆう)は、洗って美しくすることで、洗滌(せんじょう)の滌(あらう)のもとの字。「彡」は模様・飾りを示すしるし。この二つを合わせて、きれいにかざりたてるという意味をあらわす。
<意味>:①美しくかざり整える ②つくろい直す ③おさめる。学んで身につける ④書物を編集する
となる。

これらのことから、合気道に於ける修業と修行の違い、そしてその関係をまとめてみる。
まず、修業とは、 次に、修行とは、 等と考えている。

そこで次に、修業と修行の関係である。
先述の大先生が使われている修業と修行の文を見ても、明確にはそのつかい方の違いはよく分からない。
ただ、上記のこととこれまでの教えを統合して考えると、その関係が分かる。
それは、合気道の目標は宇宙との一体化であることと、また、魂の学びであるということである。これは合気道での修行ということになるはずである。
そしてこの修行をまっとうするためには、宇宙の営みに則った技を錬磨しなければならないという事である。この技を錬磨することを合気道の修業というはずである。先ずは、技の錬磨の修業が合気道の基本ということである。

つまり、合気道の「しゅぎょう」は、先ずは技の修業をし、そこから宇宙と一体化するための魂の学びの修行をするということだと考える。
従って、大先生のような次元の方にとって、修業と修行は同じということになる。合気道の形と技が究極的にはイコールになると同じである。

先ずはじっくり技の修業をし、次に修行に進まなければならないと考える。
修行から入るのは難しいし、技の修業なしに修行にはいることは難しいだろう。