【第688回】 合気道はすべての基本

合気道を始めてから早や50有余年になるが、今やっと合気道の本当のすばらしさや大先生の凄さ、また、当時、お先生がお話になったことが少しずつ分かるようになってきた。当時は大先生のお話しは、私だけでなく先輩方にも難しかったようである。私が、今の大先生の話されたことは、どういう意味ですか、と先輩方に聞いても答える事ができなかったのでそれは分かる。

大先生がお話になった事で、当時はよく分からなかったが、今、その意味が分かってきたことのひとつに、「合気道は武道の基本である」と言われていたことである。合気道をしっかりやれば、剣道でも、居合道でも、柔術でも、槍術でも等‥何でもできるようになるという事である。
確かに大先生は、これらのどの武道でも、誰にも負けないほどの実力がおありになったので、大先生が言われていることは真実だし、反論出来なかった。が、心の隅では、当時は生意気にも、大先生はいろいろな武道を嗜まれてから合気道を創られたわけだから、「合気道をしっかりやれば、武道は何でもできるようになる」ではなく、「合気道をしっかりやるためには、他の武道もしっかりやらなければならない」ということではないかと思った。

稽古を続けて行くに従って、「合気道は武道の基本である」が少しずつ分かっていくことになる。
まず、私の入門した頃は、すでに誰でも入門できる時代になっていたが、私の入門する数年前までは、入門には二人の紹介者が必要であったし、それ以前には、柔剣道の有段者でなければならないという時期もあった。ということは、柔剣道の有段者がわざわざ合気道を習いに来たわけである。彼らは恐らく相当な腕前の猛者たちであったはずだが、合気道を習いに来たわけである。有名な話では、柔道の加納治五郎先生が合気道を見て、門人二人に合気道を学ばせるべく、合気道道場に通わせたのである。普通には考えられないことであるから、何か特別の理由があったはずである。その特別な理由こそ、合気道にある“武道の基本”であったはずである。

更に、私の稽古時期には、野球の王選手を一本足打法に導いた荒川コーチも稽古に来られていた。荒川コーチは藤平光一先生の時間によく来られていた。気を重視されていた藤平先生から合気道の基本を学ばれ、一本足打法に結びつけたと聞いている。

また、メルボルン・オリンピックでレスリングの監督をされていた八田一郎監督が、朝日新聞(昭和31年12月5日夕刊)に、「柔道、相撲はもとより合気道をもっと研究し完全にレスリングに取り入れなければならないと思う。合気道を完全に消化していたならば、こんどはもっとよい成績をあげていただろう。」と語っていた。
合気道は、武道だけではなく、スポーツの基本の教えもあるということである。

私が入門して一年ぐらいたって袴を履いた頃、アメリカから来たと云うダンサーを教える事になった。当時は、初心者も上級者も一緒の稽古をしたし、入門すればその日のうちに稽古を始めた。しかし、流石にすぐにはみんなとの一緒の稽古と言うわけにもいかないので、その入門者は、初日だけ、その時間の担当の先生やその先生から指名された稽古人がその入門者を指導することになっていた。稽古人の数も多くなかった時代なので、私は何回か新人を指導したが、最も印象に残っているのが、このアメリカから来たと云う、アメリカ人のダンサーである。背丈は私より10cm以上高いし、体重も80kg以上はあったろう。筋肉は締り、如何にもダンスで鍛えた体であった。技を教えても出来ないので、単独運動の転換、入身転換、前受身、後ろ受身、相対での転換など指導した。簡単な準備運動のようなものだったが、彼は非常に熱心に云われた通り、少しでも私の動きに近づこうと真剣に稽古をしたので、非常に感服したのを今でも覚えている。
当時は何故、ダンス(バレリーナなのかミュージカルなどのダンサーなのかは分からない)と直接関係ない合気道に、わざわざ、短い滞在期間の時間を割いて道場を探し当て、稽古の手続きをし、そして稽古をするのは容易ではないわけだから、何か大きな理由があったはずである。彼には、何かその理由があるはずだとは思ったが、当時は、彼に聞いてみるでもなく、また深く考えもしなかった。しかし、この疑問が、これまで心の片隅に眠っていたようだがやっと目を覚ましたようだ。

それから、徐々に合気道に関する書籍を、出来るだけ買って読むようにしてきたので、「合気道はすべての基本」に関して、新しいことが分かってきた。
例えば、『合気道開祖』(講談社)には、綺麗どころが合気道の道場で大先生と練習をしている写真が掲載されていた。つまり綺麗どころ(踊り、歌、作法等)のための基本も合気道にはあるということである。

このほか、合気道には学者、宗教家、軍人、政治家、華族、思想家、俳優等にも合気道を教えられておられたともあるわけだから、まさしく「合気道はすべての基本」であると云えるだろう。

それでは合気道にあるすべての基本とは何かを見てみたいと思う。
最近、こういうものが基本であり、これらが武道やスポーツやダンスなどすべての基本になるものであるように思われるようになった。

勿論、その“すべての基本”は無限にあるはずであるが、今現在、これがすべての基本であろうと思いつくものを上げてみる。例えば、 等々すべてに基本となる教えはいくらでもあるようだ。これでこれまで疑問だった、「合気道はすべての基本」が解けたようだ。武道家やスポーツ関係者だけでなく、すべての分野で、「合気道はすべての基本」となり、活用されていけば大先生もお喜びになるだろうと期待している。