【第687回】 対照力で天の浮橋に

前回の「第686回 真の合気道のための大先生の教え」で予告したように、今回は、真の合気道のための大先生の教えの一つを研究してみたいと思う。尚、ここでの研究とは、大先生の教えを見つけ、解釈し、技で試行策度しながら試し、反省し、身につけようとすることである。

今回の研究課題は「対照力で天の浮橋に」である。この研究課題は合気道を修業するに当たって絶対に必要であると大先生は言われいるのである。従って、この課題が解決できなければ、合気道の技は生まれないし、つかえないはずである。

大先生は、「まず、合気道は天之浮橋に立たなければなりません」「天の浮橋に立たねば武は生まれません」、そして「対照力によって天の浮橋が現れる」(武産合気 P.108)と言われているのである。
このように武を生む、つまり真の合気道で技を生み出すためには、天の浮橋に立たなければならないのである。

大先生は、「天の浮橋は、丁度魂魄の正しく整った上に立った姿です。これが十字のです。これを霊の世界と実在の世界の両方面にも一つにならなければいけない。(武産合気P98)」と言われているが、これは宇宙創造の大宇宙的な天の浮橋であり、大先生ならお出来になるだろうが、われわれ凡人がこれを技づかいに活用するのは難しいだろう。

そこで次にもう少し身近な教えがある。
「天の浮橋に立った折には、自分の想念を天にも偏せず、地にもつかず、天と地との真中に立って大神様のみ心にむすぶ信念むすびによって進まなければなりません。(武産合気 P42)」である。技を練るために稽古相手と相対する際に適用できるし、しなければならないものである。相手をやっつけてやろうと力んだり、相手にひるんでしまって身も心も萎縮しては駄目で、大神様のみ心で、お互いにいい世の中をつくるために切磋琢磨しようと、体を土台にして心を表、上にして相手を導くということになろう。

更に、大先生は、「対照力によって天の浮橋が現れる」(武産合気 P.108)と言われている。一元から火と水の二元の対照力によって天の浮橋が現れ宇宙や天地ができたわけだが、われわれの技の錬磨の修業においても対照力によって天の浮橋に立たなければならないことになろう。何故ならば、天の浮橋に立たねば武は生まれないからであり、天の浮橋に立つためには対照力が必要だからである。

そこで対照力について研究してみよう。対照力とは相反する力であり、その相反する力が相殺し、釣り合うことによって0(ゼロ)の力になり、そこに天の浮橋が生まれると考える。
対照力には八力がある。大先生は、動と静、解と疑、強と弱、合と分が八力であると言われているが、この四組の対照力があるわけである。
従って、天の浮橋は0の状態ではあるが、力(エネルギー)が充満していることになる。だから、武に、技につかえるし、つかわなければならないわけである。

そして、「合気道は天之浮橋に立たなければなりません」「天の浮橋に立たねば武は生まれません」といわれているわけだから、この対照力で天の浮橋に立ち、どのように技につかうかを研究しなければならないだろう。いくつかの例を挙げる。

更に段々わかってきたことがある。 稽古の際は、対照力を生じさせて、天の浮橋に立つようにしなければ、相手が思うように動いてくれないし、技は効かないことは確かであることがわかる。例えば、諸手取呼吸法などは対照力で天の浮橋に立たなければ難しい。やはり、大先生が言われる教えを一つ一つ身につけていかなければならないということである。最早、大先生は居られないからお聞きすることはできない。自分たちで大先生の教えを会得していくほかない。