【第686回】 年を取らなきゃ分からない

年を取ってくると体力は衰えてくる。これは法則といっていいだろう。80,90才と年を取れば取るほど若い頃より体力が増強したなど聞いたこともないし、想像もできない。
だからこの法則は素直に受け入れなければならないだろう。

しかしながら、この年を取ってくると体力は衰えという法則は、技が衰えるということではない。実際、我々が入門した頃の本部の先輩高齢者は強かったし、時と共にどんどん強くなっていくようだった。我々若い元気な稽古人はとても相手にならず、簡単にあしらわれていた。更に大先生はその先輩方よりお年を召されていたが、その強い先輩高齢者の方もまだまだ鼻たれ小僧扱いであった。

確かに体力的には先輩高齢者より我々若者の方が優勢であった。強いには強いが、それは短時間の集中力で、長時間の動きには弱かった。だから、投げて貰って受けを取らしてもらっても、こちらの受けが早いので、投げる側にある先輩高齢者の方がすぐに息が上がり、その内に投げてくれなくなってしまったぐらいである。技の稽古でも、受けを素早く取って出来るだけ早く(めちゃくちゃだが)掛ける、間を置かない稽古をすると先輩は息が上がり、だんだん一緒の稽古を敬遠されるようになったものである。でも、先輩たちの技はよく効いたし、よく鍛えられたことは確かである。

何故、大先生や先輩高齢者は体力が衰えても、体力のある若者より強かったのか、強いのか。それが最近分かってきた。
一言で言えば、体力がなくなって年を取ってくると、見えないモノが見えるようになることだと思う。若い頃は見えなかったモノが、年を取って来て見えてくるのである。
見えないモノとは、例えば、心である。心には、自分の心、他人の心、そして宇宙の心があるが、これが見えてくるのである。
また、年を取ってくると、この見えないモノを信じることができるようになり、また、期待するようになる。例えば、宇宙楽園、神様等‥である。

若い内は見えるモノしか見えない。主に顕界、物質文明、競争社会に生きているので、見えないモノが見えないし、見ようとしないのだと思う。合気道もそうだが、人を唸らせたり、世界が認めるような本モノは、顕界とは別次元のものでなければならないだろう。顕界は小さな勝負にこだわる世界であるが、この別次元は、宇宙や万有万物を対象にしたものである。宇宙、天地、神様や万有万物が支援してくれるのだから強いし、若者とは異質の力ということになるだろう。

年を取って来て分かるわけであるが、これで安心してはいられない。お迎えが近くまできているはずだから、急がないといけない。無駄な力づくの稽古などしていられない。時間との戦いである。