【第686回】 真の合気道のための大先生の教え

大先生が亡くなられて50年が過ぎたので、合気道の稽古人のほとんどは大先生の演武を見たり、道話を聞いたりと、大先生に接していないだろう。大先生を知らないので、大先生は神様の様に手の届かないところの方で、次元が違い、大先生の様に自分たちには到底できないと思ったり、大先生の言われている事、書かれている事は解らなくて当然と思っているように思える。
そして大先生の教えがつまっている合気道の聖典ともいっていいい『武産合気』『合気神髄』などは解らなくてもいいもと思い、無視したり解らないまま自己流に稽古をしているように思う。
自己流もいいが、まずは合気道を創られた大先生の教えを身につけなければならないはずである。その教えがある程度身に着いたら、後は大先生の教えに自分の創意工夫をした技をつかうなり、思想や哲学をつくっていけばいい。

合気道は難しいと最近、つくづくと思うようになった。これまで50年稽古をしていた合気道は、大先生の目指されていた合気道の修業に入るための準備段階であったと分かったのである。真の合気道の修業にようやく入れるのである。またこの先どれだけ修業をしなければならないのか見当もつかない。大先生が晩年まで、「爺はこれから修行じゃ」とか、「まだまだ修行じゃ」と言われておられたことがようやく理解できるのである。

どこかに書いたが、大先生のお話や『武産合気』『合気神髄』は、合気道の準備段階を経て真の合気道の修業のための教えであるから、まだ準備段階で稽古をしている稽古人にはよくわからないのは当然なわけである。言葉を換えて言えば、『武産合気』『合気神髄』がある程度理解できるようになれば、真の合気道の修業段階に入ったといっていいと考える。尚、合気道で「わかる」ということは、頭で理解するだけではなく、技で示すことができるということである。これが学問や一般社会と異なることである。

私の今の段階は、準備段階を抜けて次の次元の真の合気道を目指す入り口に立っている状況であるだろう。真の合気道の修業に入るために、大先生の教えを理解し、身につけ、技で現わそうとしているところである。例えば、前回第685回では「天の気、天地の呼吸と阿吽の呼吸」、また、合気道の思想と技の項の「第681回 五つの宝」「第682回 一霊四魂三元八力」「第683回 天の気と天地の呼吸」「第685回 霊の思うままに体が動く」を研究し論文にしたのである。
これまでは、大先生が言われている準備段階での稽古の為に書いてきたわけである。これからは次の修業の段階のため、その段階に少しでも侵入して大先生の教えを研究していきたいと思っている。
次回の第687回では、大先生の教えで題して「対照力で天の浮橋に」を研究してみたいと思う。