【第686回】 隙の無い手を

相対で技を掛け合い、受けを取り合って稽古をしていると、受けを取りながらも大変勉強になる。初心者の内は、技を掛けて相手を投げたり抑えることから上達を感じるが、長年稽古をしてくると、受けを取りながらも多くのことが学べるようになるし、そうならなければならないだろう。何故ならば、技を掛ける回数や時間は受けも同じであるわけだから、技を掛けるだけからしか学べなければ、受けの半分の時間が不毛で無駄ということになるからである。

最近、受けを取りながら気がつた事、気を付けなければならないと思った事は、体のつかい方、特に手のつかい方が隙だらけだということである。技を掛けようとする手など、こちらの指一本で抑える事が出来たり、上に上げてしまうことが出来るのである。
上げる手をよく観察してみると、人は大体己の手をただ無造作に上げたり下ろしているのである。一見自然にやっているようであるが、これでは合気道の手にはならず、そして隙だらけになるわけである。

合気道の稽古相手にする主な攻撃法は、手で打つ、切り下すと握る、掴むである。
まずは、この攻撃法が十分にできなければ、技を十分掛ける事はできない。
剣が十分つかえなければ、太刀取りが出来るわけがないし、素手で十分素振りができなければ太刀は使えないものである。
合気道では己自身の体を鍛えることが基本となる。剣をつかって稽古をするのも、己自身の体を鍛えるのが主目的で、剣をつかうことが目的ではない。剣をつかう稽古をするなら剣道をやった方がいい。剣道は太刀さばき、合気道は体づくりであると思う。

それ故、己の手の素振りの稽古は稽古の基本となる。手を刀としてつかえるようにするのである。しかしやっていくと分かるが、これが中々難しく、奥が深い稽古なのである。初めは、安い細切れ肉の様にぼつぼつ切れた動きである。手だけで振るからである。その内、息に合わせて振るようになるが、吸って、また吐くところで動作が切れてしまう。動作が切れるところに隙ができ、そこを突かれれば、指一本でもやられてしまうのである。
この問題を解決するためには、イクムスビそして阿吽の呼吸でやらなければならない。息に合わせて、更に息に導かれて手をつかって上げ下ろしをするのである。これで大分隙が無くなるのだがまだ不十分である。ここから十字の息づかいをするのである。腹から胸に上がった息と気を胸のところで今度は横に流し、更に上に上げるのである。また、息に合わせて、十字の息づかいで肩を貫き、手を十字につかわなければならないから、肩を貫く稽古も必須である。

これまでできれば隙なく手を振り上げ、切り下すことができるはずである。しかし、これでもまだ不完全なのである。稽古相手の人に対してはほぼ隙がないはずだが、厳しい宇宙の目から見ればまだ隙があるのである。
その隙を無くすには、天の呼吸と地の呼吸のお力をお借りしなければならない。手を上げる際、ただ手を上げるのではなく、天の息に引っ張られる気持ちで上げる。そしてその上がる手は地の呼吸によって下に引っ張られる感覚を持つことである。切り下ろす場合もこの天地の呼吸が逆の作用で働くことになるが、この天の呼吸と地の呼吸の対照力によって天の浮橋が現れ、重く重厚な手となり、宇宙に対しても隙がなくなることになるのである。

先ずは、隙の無い手をつくり、つかうようにしなければならない。そしてその他の体も隙のないようにしていかなければならないことになる。