【第682回】 思ったより忙しい

70才ぐらいまで会社勤めをしていたが忙しかった。
仕事を辞めたら時間ができるから自由にやりたい事ができるだろうと思ったものである。
しかし、この期待は裏切られたといっていいだろう。結構忙しいのである。

何故、忙しいのか考えてみた。会社に行く必要もなく、出張も宴会もないのに、或る意味で会社に行っている頃よりも忙しいのである。
忙しさには、時間的な忙しさと精神的な忙しさがあるだろう。
時間的な忙しさは、仕事をやっている頃は、仕事に間に合うように朝起きるという忙しさがある。それに合わせて、起床、食事、就寝も忙しくなる。確かに忙しかった。時間に追われるというのはこういうことだったのだろう。
また、大事な仕事やプロジェクトでは時間的よりも精神的な忙しさが大きかった。食事や睡眠が十分に取れないような忙しさもあった。いい成果を上げようとすれば精神的に忙しくなる。

退職すると、それらの忙しさ、慌ただしさはなくなるわけだが、時間を有効に使おう、健康と快適のために使おうと決めた。しかし時間は、会社勤めの頃と違って、他に左右されたり、強要されるものではなく、自主的なものである。誰の為でもなく、自分のために、自分が決めたものである。だから、精神的な忙しさは無くなったと言っていいだろう。
遅くとも朝7時までには起きる事にしているが、大体6時から6時半の間には起きている。目が覚めたら起きる。起きる前に一寸布団の中で体操をする。

これはこれで忙しい。別にやらなくとも誰に迷惑も掛からないし、文句も言われない。ただ、自分との約束であり挑戦である。自分との挑戦は厳しいものである。他への挑戦も大変だが、自分への挑戦の方が大変だと思う。自分には嘘がつけないし、言い訳もできないからである。
しかし、自分の挑戦に負けなければ満足度は大きい。満足度を大きくするために、より忙しくすることになる。

禊ぎは毎朝やっているが、時間は気にしない。一時間のこともあれば3時間のこともある。時間を忘れる時であり、勤めていた頃には出来なかったことである。
その後、朝食を必ず摂ることにしている。そして新聞を読んで、一息入れると昼である。昼は家で食べたり、外で食べるが、朝起きて昼まではあっという間である。
午後からは、原稿を書いたり、稽古の為に外出する。あっと言う間に夕方になり、夜になる。風呂に入る時間やその気がなくなり、シャワーだけの事が多い。
時間の経つのが新幹線なみに速い。勤めていた時に期待していたように、のんびりと過ごせるなど夢のまた夢である。しかしこの生活に、そしてこの忙しさに満足している。

更に年を取ってくると先が近い事を自覚するようになる。やるべき事をやり遂げる事は出来ないまでも、出来るところまではやろうと思うようになる。時間的、そして精神的な忙しさが増してくる。増々忙しくなるようである。