【第681回】 万有万物一家なり

年を取って来て、若者時代と比べて大変変わってきたことがあるのに気付いた。
一つは、すぐに感激したり、感動すること。嬉しくなったり、泣いたり、笑ったり、感動するのである。あどけない幼児の行動や仕草を見ると、自然で飾り気がなく、純な感覚を得、顔が自然とほころび、この子たちの為にいい社会を残さなければと思ってしまう。
また、お年寄りに席を譲る若者を見ると、まだまだ若者も捨てたものではないと安心したり、嬉しくなる。いい映画を見たり、音楽を聞くと体がぞくぞくし、感動する。感動するTVや映画、また実生活でも素晴らしい情景や悲しい場面では、涙が出てくる。
更に、悪いことに対しては、間髪を入れず怒るようにもなった。若い頃は、遠慮もあったし、怒る前にあれこれ考えて怒ったり、我慢したりしていた。大先生や有川先生は悪いコトを見れば、間髪を入れずに激怒されておられた。しかし、後にしこりも不愉快さがなく、後になると怒られたことに感謝したものだ。そうなりたいものである。

二つ目は、周りの人や動植物に親近感を持つようになった事である。過っては、街を歩いても、電車に乗っても、また、会社にいても、他人は他人で競争相手であり、他よりよくなろう、負けないように頑張ろうと思って、見ていたり、接していたと思う。ましてや動植物などは、人間様の下であるとか、または無視していた。

年を取ってきたせいか、他人も動植物も家族であり、仲間であると思うようになったのである。
今は街を歩いても、電車に乗っても、周りの人は一生懸命に働いていたり、働き終わったり、また、子供を育てたりしているわけだから、言うなれば、世の中の為に生きていることになる。恐らく彼らのほとんどは意識していないだろうが、合気道で云うところの、地上天国建設のために生成化育をしたり、した人たちということになる。ホームレスの人でも、以前は働いたはずだし、時には空き缶などを集めているわけだから社会を綺麗にするために働いてくれているわけで、生成化育をしているのである。そのために各々は役割分担があり、分身分業となっているのである。
動物も植物もその目で見るようになると、親近感が湧き、家族のように思えるようになる。だから、殺したり、花や葉を取ったりしなくなる。大風や大雨では、頑張れよと応援する。みんなで生成化育を頑張ろうとするのである。

これを大先生は、「分身分業のお努めをする人は一人ではできない。万有万象が悉く和して各々のつとめにいそしめばよいのです。天の星が一つおちてもだめである。大神の営みの力が減る。」(武産合気 P.74)といわれるから、地上天国建設のためには、万有万物に分身分業で働いてもらわなければならない。一人でも、虫一匹でも働いてくれないと、地上天国建設がそれだけ滞ってしまうことになるから、万有万物が分身分業で十分に働けるようにしなければならない事になる。それを邪魔するものを除くのが武道である合気道であると教わっている。

万民・万有万物は分身分業で、地球天国建設を目指すための生成化育をしている一つの地球家族なのであると実感するようになった次第である。