【第678回】 心と体に刺激を与える

年を取ってくると体は衰えてくるのはわかっているが、最近の街中で見る高齢者や潜在的な高齢者を見ると、これは自分も注意しなければならないと、反面教師で習うことが多い。
まず、満足に歩いている高齢者が少ないことである。武道をやっているので、その目で見るのかも知らないが、ちょっと酷過ぎると思う。問題は、その現状だけではなく、その改善の努力が見られない事、その上に、潜在的な高齢者も近い内にそうなる事に気がついていない事、そしてそれがますます助長しているように見えるからである。

まともに歩けないような体になるのは、世の中便利になる過ぎたことであると考えている。人を少しでも楽させようとしているのである。これを使うと楽になりますよと謳って、ビジネスにしたり、宣伝している。
勿論、多くのモノは便利であるし、今の時代にとって必要不可欠なモノが多いとも思っている。
しかし、合気道の教えにあるように、モノ事には両面がある。いい面と悪い面である。それを上手く使い分ける事ができなければ、身を亡ぼすことになるはずである。

人は少しでも楽をしようとする傾向にあるようだ。そうするとまず体を楽させようと、体を動かさくなる。特に高齢になるにつれて、この傾向は大きくなるといっていいだろう。高齢になるに従って、体を動かさくなるのは自然であるが、自然でいいならば、体を動かさず老いていけばいい。ただし、歩けなくなったとか動けなくなったと嘆いても仕方がない。自分で選んだのだから。

人間には寿命があるが、寝たきりで100才まで生きても面白くない。だから、健康寿命を長くすべきだろう。そのためには、反自然的な生き方も必要だと考える。
健康で長生きするためにはどうすればいいのか、反自然的な生き方をどのようにすればいいのかを考えると、キーワードは、“緊張すること”“嫌な事をすること”“難しいことや大変と思われること等をすること“等ではないかと思う。
言い換えれば、心と体に刺激を与えることであり、心体との勝負をしていくことであると云っていいだろう。
具体的に見てみると、

<心> 感動する心を養う。詩を詠む。絵を描く。音楽を聞いたり、作ったりする。写真を撮る。自然観察をする等である。
<頭> 心と同じ範疇だろうが、この方が分かり易いと思うので敢えて分ける。まず、出来る仕事をすることである。翻訳とか、通訳とかである。次に好きな事をすることである。例えば、読書、好きな研究などである。私の場合は、合気道だからこれに関連する読書と研究をしている。
<体> 先ずは道場での稽古で体を鍛えることである。体は勿論のこと、心も頭も鍛えられる。日常の生活に於いても体を鍛えればいい。なるべく歩いたり、立ったりすることである。電車やバスで座らずに立ち、近い距離を歩いたり、散歩で2時間ほど歩くといい。また、駅などではエレベーターやエスカレーターではなく、階段を歩くようにするのである。
また、家で靴下を履いたり、ズボンを履く際、壁や柱に寄りかからず、片足で立って履くのもいい。
<その他> 心と体に刺激を与えるものとして、水浴びや寒風摩擦がいい。一年を通して、真冬でも水のシャワーを浴びるのである。心も体も嫌がるが、浴びた後は喜んでくれているように思える。

心と体の両方が健康的でなければ意味がない。どちらか一つが掛けても健康で生きていけない。上記の<心>と<体>の組み合わせでやればいいわけだが、合気道の修業はその心と体に刺激を与え、勝負をしているので、精神的健康と肉体的健康の両方が追求できるはずである。

心と体に刺激を与え、心体との勝負をしていけば、健康寿命を楽しむことができると期待している。