【第673回】 日々変わる

合気道は技を形にした形稽古をしながら精進する。形は一教や四方投げなどであるが、数はそれほど多くはない。只、攻撃法は打ったり、掴んだりと打ち方、掴み方など無限にあるともいえるので、多い様に思ってしまうのであろう。
合気道は、それほど多くない形を最初から最後まで、初心者から古参まで誰もが繰り返し々々稽古をする最高の稽古法であると思うが、その反面問題もある。
その一つは、形を覚えれば、合気道が出來た、分かったと思ってしまう事である。この段階では、まだ合気道の入り口に立ったところで、合気道への準備段階なのであるが、それに気づくのはなかなか難しいようである。
次の問題は、それほど多くない形をただ繰り返すことである。形は変えてはならないものなので、どうしても同じ形稽古になりがちなのである。

しかし大先生は、「合気道は、周知のごとく年ごとに、ことごとく技が変わっていくのが本義である」(『合気神髄 P.17』)と言われているのである。
ここで注意することは、大先生は形が変わなければならないとは言われていない。技が変わらなければならないと言われているのである。
技とは、宇宙の営みを形にしたものである。従って、技そのものは変わらないはずで、ここで「技が変わっていく」ということは、技のつかい手の技が変わっていかなければならないということのはずである。つまり、形に技をどんどん詰め込んでいくのである。宇宙の営みと法則を技、そして体に入れていくのである。例えば、陰陽、十字、○に十、円の動きの巡り合わせ、魂魄一体、天の浮橋等無限にある。技と体にそれらを入れていけば、技は変わるし、変わらなければならない。この技が変わることが合気道の上達、精進ということになろう。
稽古をしていて、上達や精進がないほどつまらないことはないだろう。稽古が楽しくなるためには、技を変えていく他ないだろう。

更に大先生は「昔は鳥船の行事とか、あるいは振魂の行事、いままでの鳥船や振魂の行ではいけないのです。日に新しく日に新しく進んで向上していかなければなりません。それを一日一日新しく、突き進んで研究を、施しているのが合気道です。(合気神髄P.101)」とも言われている。
過っては、ほぼ毎回、舟こぎ運動(鳥船の行事)を稽古の前や後にやっていた。当時はその稽古の意味がよく分からなかったので、ただ大きな声を出し、力一杯やっていただけだった。しかし、大先生は「いままでの鳥船や振魂の行ではいけないのです。日に新しく日に新しく進んで向上していかなければなりません」と言われているのである。

少し前にこの意味が分かったので、舟こぎ運動も楽しくなった。毎回、舟こぎ運動が変わるからである。どういうことかというと、この運動のテーマを決めて、それを重点的にやるのである。例えば、息と体の連動、体の重心の移動、手の突きの稽古、肘の引き付け、指先や手を伸ばす、手先と腹と結ぶ、腰を十字につかう、踵から爪先への重心移動、体を面につかうなど、一つの課題が解決出来たら次の課題に挑戦するのである。
これが大先生の言われる、鳥舟でも日々に変わり、向上するということだと考える。

稽古では日々変わるように稽古をしなければならないが、初めは意識し、努力が必要だろう。しかし、それが生活や稽古の一部に組み込まれてしまえば、意識することも、努力も必要なくなるはずである。自然と毎日、変わろうとするし、何も変わらなければ寂しくなり、明日は頑張ろうと思うようになる。
また、今日の一日と明日の一日の変わるものは違う。今日興味があるもの、ある事は、翌日は興味を失うからである。今日替わるモノや事は今日変わってしまうことである。
合気道の論文を書いているが、今日面白いと思ったテーマは、往々にして翌日は新たなモノに興味が行ってしまい興味が失せるので、その日に書くようにしている。興味も日々変わっていくようである。
日々変わるから、明日が、一年後が、そして最終ステージが楽しみになる。日々の変わり方で、どれだけ技が変われるのか楽しみではないか。