【第672回】 奥村土牛と合気道

合気道の教えにあるように、合気道を志す者は万有万物から教えを受けるようにしなければならない。日月、海山川、鳥獣花鳥等‥から教えを受けるわけであるが、やはり人からの教えも大事である。取り分け、長生きして、いい仕事をされた方からは大事なことを学べる。

今回は101才まで生きられ、100才を超えても絵筆をとり続けていた奥村土牛の教えを書いてみることにする。奥村土牛展を見て、その素晴らしい絵はどうして出来てきたのを調べて分かったことである。我々合気道家が心しなければならない教えが沢山ある。

まず、絵を描く真摯な態度、真面目な「人柄」である。これは絵にも表れているわけだが、土牛のパトロンであり、彼の絵を135点も収蔵し山種美術館を創設した山崎種二は、「絵は人柄である」という信念で、画家とは直接かかわりながら、人柄のいい画家の作品を集めたというから、土牛の人柄は非常に良かったことになる。

土牛の人柄は「私の仕事も、やっと少しわかりかけてきたかと思ったら、いつか八十路を越してしまった」ということにも表れている。合気道でも植芝盛平先生も50,60才はまだまだ鼻ったれ小僧といわれていたのにも符号する。本当の仕事ができるようになるのは80才ということで、それまではまだまだという謙虚でなければならないということである。80才にも成らずに、合気道が出來た、分かったなどというのは、人柄がよくないことになるだろうから注意しなければならない。

また、土牛の人柄を示すものに、「私はこれから死ぬまで、初心を忘れず、拙くとも生きた絵が描きたい。」がある。合気道などの習い事にあっても、最後まで初心を忘れずに修業をしなければならないと、心に決めて実践するということである。

更に土牛は、「芸術に完成はあり得ない。要はどこまで大きく未完成で終わるかである」と言っている。合気道の修業においても、技が完璧につかえるなどという完成はない。悲しい宿命であるが、完成に少しでも近づけるしかないということである。

最後に土牛の絵の素晴らしさの根底にあるものである。それは宇宙である。土牛の絵に描かれた海、山、川、滝、草木花、鳥虫、家、人等々は宇宙と結び、一体化しているように見える。特に晩年の絵は、対象物の輪郭線よりもその対象物が訴える心、気持ちが強く出ているようである。
とりわけ、最晩年の絶筆である「山なみ」は、山並みの輪郭は消え、何を描いているのか不明瞭であるが、山並みの心が濃厚にでている、深い幽界の世界に入って描いている絵であると観た。

土牛が宇宙を描くようになったのは、土牛が絵画論・芸術論の洗礼を受けた横山大観から、「君、絵というものは、山水を描いても、花鳥を描いても、宇宙が描けなかったら、芸術とは言えないよ。鳥を描くなら鳥の声も聞こえなくてはならぬ。それが宇宙の生気というものではないか」と言われたことにも関係するようだ。

因みに、このような幽界の絵は幽界の目で、否、心で観なければならないだろう。合気道でも見える顕界の稽古をしている間は幽界の絵の心が観えないはずである。幽界の絵が観えるためにも、見えない幽界、魂の稽古に入らなければならないことになる。天の浮橋に立って観るのである。