【第670回】 高齢者への禊のすすめ

今、日本には100才以上の超高齢者が約7万人いるという。世界有数の長寿国家であるという。人が長生きすることは素晴らしい事であり、人類の希望であろう。
しかし、この100才以上の超高齢者の内、自分の足で歩き、食事も就寝も一人でできる人は、そう多くないと見ている。この内の多くの超高齢者は、寝たきりであったり、植物人間にあるのではないだろうか。

街で歩いている人たちを見ると、年々杖をつく高齢者が増えているようだし、30,40代の若者の多くの歩行も心配になる。足首が捻じれていて、踏み下ろす足がまともに地に着かないとか、骨盤が歪んだり固まったりして、まともに歩けなくなっているのである。そのままだとあと10年も経ったら、きっと歩けなくなると心配になる。

勿論、高齢者にも元気で活躍されている方や自立されて生活されている方たちがいる。武道の世界でも高齢まで超人的な活躍をされた方もおられる。
身近な所では、何といっても合気道の創始者である植芝盛平先生である。最晩年の85才まで、我々合気道家にお教えて下さっていた。
もう一人挙げさせてもらえば、大東流合気柔術の佐川幸義先生も95才の最後までお弟子さんを教えられておられたと聞く。
お二人は80才、90才以上になられも超人的な技をつかい、弟子たちを導いておられた事に感服しているし、己もそれに少しでも近づきたいものと願っている。

何故、植芝盛平先生と佐川幸義先生のお二人の名前を拝借したかというと、このお二人は、超高齢になっても活躍できるための、ヒントを我々に与えて下さっている思うからである。
そのヒントとは何かと云えば、それは「禊ぎ」である。お二人は、毎朝、欠かさず禊をされていたということである。植芝盛平先生は禊ぎと言われたが、佐川先生は棒を振られたり、四股踏みなどをされていたようだが、先生は禊と言われず、朝鍛錬とか運動とかという言葉をつかわれておられたようだ。
一般的に今は、禊ぎを運動とか体操ということになるのだろう。

禊ぎとは、身を削ぐ、自分の罪を洗い流すことということだろうから、合気道で云う「カス取り」である。余計なモノを取り除く行為という事になる。
禊ぎには、肉体的な禊ぎと精神的な禊ぎがあるだろう。
肉体的な禊ぎは、体を動かして筋肉を伸ばしたり、息づかいで内臓を活性化させたり、五感や六根を鋭敏にしたり、水を被ったり浴びて、体に刺激を与えたりすることと考える。
精神的な禊ぎは、遊びに行っている魂を呼び戻す振り魂、自分の本源に戻す瞑想、神との交流をはかる祈りなどと考える。

植芝盛平先生は、この肉体的な禊ぎと精神的な禊ぎをバランスよくやられていたと思う。それ故、肉体的にも精神的にも共に超人的なお仕事が出来たのだと考える。しかし、お若い頃は、肉体的な禊ぎ(修業)が主で、大本教との出会い以降、年とともに精神的な禊ぎの割合が増えてきたと拝察する。
佐川先生はよく存じ上げないので、書籍からでしか分からないが、恐らく肉体的な禊ぎが主であり、精神的な禊ぎはそれほど重視されておられなかったように思える。

さて、今回のテーマが、「高齢者への禊のすすめ」であるように、言いたい事は、“禊ぎのすすめ“である。特に、高齢者は禊をするのがいいということである。高齢になって、体が機能しなくなることも、頭が機能しなくなることも問題である。人の寿命は今のところは100才、理論的には精々125才であるが、健康な体と頭で生きるために、禊ぎがいいということである。

何故、そう言い切れるかというと、私自身が毎朝禊ぎをしているから分かるのである。自分が体験していると、元気な高齢者を見ると禊をやっているなと分かるし、元気のない高齢者は、禊をやっていない事が分かるのである。
毎朝やっている、偶にやっている、全然やっていないに比例して元気度は違うといっていいだろう。
合気道本部には90才間近でも、元気な若者が全然歯が立たない先生が居られる。多田宏先生である。今も、海外にも年3度以上も教えに行かれるようにお元気で、肉体的にも精神的にも若者以上に旺盛である。多田先生には毎年賀詞交換会などでお会いさせて頂き、言葉を交わさせて頂いているが、その時いつも感じるのは、先生は毎朝、禊をされているなということである。そして自分も禊を続けなければならないと再確認するのである。

具体的に、私の禊ぎの効果を書いてみると、まず、自分との戦いである。肉体的と精神的な戦いである。朝早く起きる事(精神的戦い)、自分が決めたプログラムをこなすこと(肉体的・精神的戦い)、体を水で浄めること(肉体的・精神的戦い)等は戦いであり、己に対する挑戦である。この挑戦や寒い季節の冷水の刺激などが、精神的および肉体的な活力を生み、そして若返り、または老化減速をもたらしてくれるように思う。
更に、毎朝の禊ぎで、体や得物(木刀、杖)や宇宙(お日様、木技、鳥)等からいろいろ大事な事を教わるのである。新しい教えのほとんどは、朝の禊ぎからのもと言えるだろう。これを道場で試したり、論文に書くことになるのである。
この1,2時間の朝の禊は欠かすことができなくなり、生活の一部になっている。

高齢者への禊をおすすめする。