【第668回】  阿吽の呼吸とイクムスビの呼吸

これまで相対稽古で相手を投げたり抑えたりするために体と技をイクムスビでつかわなければならないと書いてきた。イーと息を吐き相手と結び、クーで結んだ相手を導き、そしてムーで収めるのである。行者の息づかいと大先生が言われている息づかいである。
このイクムスビの呼吸で体と技がつかえるようになると、体を息でつかい、技は息で掛けることになる。体で掛けるよりも大きな力が出るし、ぶつかりが無く、円く動くことができる。
しかし、息が切れれば体の動きも技も途切れてしまう。息は思うようには続かないし、つかえないのである。イクムスビの呼吸は必須だと思うが、この呼吸を乗り越えなければならないと考える。

大先生は、「天の息と地の息と合わして武技を生む」(『武産合気』P.76)、「天の呼吸と地の呼吸とを合し、一つの息として生み出していくのを武産合気」(武産合気P.75)と云われているわけだから、息をつかって技を生まなければならない。
尚、ここで「天の息と地の息と合わして」、「天の呼吸と地の呼吸とを合し、一つの息として」とは、天の息と地の息、そして己の息を合わせ、一つの息にするということと考える。

イクムスビと別なもう一つの息がある。それは阿吽の呼吸、阿吽の息づかいである。阿吽の呼吸については、どのような呼吸なのか、そして阿吽の呼吸で仁王様(金剛力士)の気に満ちた姿になることなどはこれまで書いてきた。今回はそれらをまとめ、イクムスビの呼吸との違いなどをまとめてみたいと思う。

阿吽の呼吸は気の呼吸であると思う。これに対して、イクムスビの呼吸は生理的な息の呼吸、息づかいである。
阿吽の呼吸では、気を引き、そして気を吐く呼吸である。阿(ア)ーと息ではなく、気を体の隅々から腹に取り入れていき、吽(ン)で腹に溜まった気を地に落すのである。だから、阿(ア)ーで生理的な息を入れてしまうと、行き詰まりとなり、息は止まってしまうはずである。
また、阿(ア)ーで気は腹に集まるだけではなく、腹から天と地、そして前後左右に発散する。双方向に流れるのである。つまり、阿吽の呼吸の阿(ア)ーで己と天と地が一つに合わさるわけである。イクムスビの呼吸では天と地に結ぶのは難しい。

大先生は「息を出す折には丸く息をはき、ひく折には四角になる。丸くはくことは丁度水の形をし、四角は火の形を示すのであります。」と云われているが、この息は勿論イクムスビの息ではなく気である。引く(吸う)折には火で四角の形をし、吐く折には水で丸い形になる。従って、相手を投げたり抑える際には、水のように円い息(気)づかいで収めなけばならない事になる。初心者は、この収めで息を吐いて火のような技づかい、体づかいをしてしまうものである。

もう一つ大事な事がある。阿吽の呼吸で阿(ア)ーと息を引こうとしても気は集まってこないし、天地とも結ばないものである。原因は地の呼吸から始めることにある。天の呼吸からはじめなければならないのである。これを大先生は「天の呼吸との交流なくして地動かず」「天の呼吸により地も呼吸するのであります。」(『武産合気』P.76)と云われているのである。具体的には、先ず、吽(ン)と天から気を地に落とし、そこから阿吽の呼吸をするのである。

阿吽の呼吸がわかってきたことにより、イクムスビの呼吸の事もより分かってくる。その重要性と不足分などである。上のものはなかなか見えないものだが、上から下はよく見えるといわれる。確かにそうだろう。だから阿吽の呼吸がイクムスビの呼吸の上級にあることは確かである。
天の呼吸と地の呼吸と結べば、宇宙との一体化への道に一歩近づくことになる。阿吽の呼吸を精進していけばいいのだろう。