【第666回】  吐く息は水

大先生は、引く息は火、そして吐く息は水であると、次のように言われている。「息を出す折には丸く息を吐き、ひく折には四角になる。丸く吐くことは丁度水の形をし、四角は火の形を示すのであります。」
しかし、通常、引く息(吸う)が火で、吐く息を水とは感じられないし、そもそもこれは逆ではないかと思うはずだ。例えば、火を噴くドラゴンは、息を吐いて火を噴いているのであって、息を吸いながら火を噴いてはいない。また、真っ赤になって怒るときも、息を吐いて怒っている。

私もこれまで、引く息は火、そして吐く息は水であることに、初めはちょっと疑ったこともある。しかし大先生の言葉を疑う事は、合気道を疑うことになるし、合気道を続ける資格がないわけだから、大先生の如何なる教えも信じなければならないと思い直し、この矛盾すると思われる「吐く息は水」を解明したいと思ってきていた。

そして今は、この大先生の「吐く息は水」の教え正しい事、素晴らしい事、そしてこれが分からなければ、先の魂の学びに進めない事がわかってきた。要は、この「引く息は火、そして吐く息は水」が分からなかったのは、己の未熟さにあったわけである。未熟な者は、大先生の教えに素直に従って、稽古に励んでいかなければならないこと、大先生の教えが分からない事は未熟であるということを、再認識した次第である。

何故、「引く息は火、そして吐く息は水」が分かったかというと、これまで論文に書いてきている成果である。特に、手を名刀としてつかわなければならないし、名刀の手をつくるためには、水火の息づかい、阿吽の呼吸、手先と腰腹の結びと連動が必要である等が分かってきたからでる。
手が名刀としてつかえるようになると、そのための息づかいで、引く息が火となり、吐く息が水でなければならないことがわかるのである。息を目いっぱいに引くと、手そして体は気(エネルギー)で満ち、それは火と感得できるのである。

そして引いた息を吐き出すのだが、初心者は、ここで火の息を吐いて技を極めようとする。だから、相手の体や力とぶつかったり、弾き返されてしまうのである。火ではなく、水の息を吐いて技を極めなければならないのである。
水の息とは、息で己の手や体から水が落ちて、地に染み込んだり、広がっていく感覚である。水にも三元の剛柔流があるから、適宜、柔らかくしたり、強力に水を流すようにして技を掛ければいい。
「吐く息は水」の感覚は、二教裏小手回しや片手取り・諸手取呼吸法での最後の決めのところで得やすいだろう。また、剣の素振りでも、合気剣になるためには、「吐く息は水」の息づかいが必要だろう。

「引く息は火、そして吐く息は水」を実感し、それを取り入れていくために、もう一つ大事な事がある。これまでのやり方で上手できなくとも上手く行くだろうし、上手く出来ている人は、更に容易にできるはずである。
それは、技をつかう際、まず、体の末端の手足から、そして体の中心の腰腹に収めることである。まず、手を気でしっかり満たして張り、腰腹と結び、その手から上げたり、掴ませたりし、相手を導き、そして手との結びを切らずに腰腹で技をきめるのである。合気道での剣づかいもこれでやらなければならない。初心者は往々にしてこの逆、特に、最後の収めを手先でやっている。

「引く息は火、そして吐く息は水」ということは、体と心が表裏一体となってつかわれなければならないという教えでもあると考える。
心だけでは相手は動いてくれないが、体の力だけでも技にならない。息で体と心を一緒にし、引く息で手と体をつくり、そして体を土台にして、吐く息を心で水にすると技が生まれるということである。